255【愛してると伝えよう】

先日、匝瑳市倫理法人会で海賊タロウさんの講話を聴いた。日常の中で、当たり前にあると思っている明日は来ないかもしれないという現実。明日も生きられるから、今日伝えない言葉たちがある。でも、誰にも今日一日生きている保証はないんだ。だからね、伝えさせてもらった。両親に、「愛してるよ」と。
ちょっと照れくさかったけど、
でも、もし明日伝えられなくなったら
きっと後悔する。

親に、子どもに、パートナーに、恋人に。

なんでもなくて、特別な。
いつもと同じで、またとない。

今日という日に、伝えよう。

254【最高の選択】

子どもは、自分の親を選んで生まれてくる、という説がある。生前記憶を持っているという子どもにインタビューすると、自分で親を選んで生まれてきた、と答える子がいるそうだ。

自分で親を選んで生まれてくる。

それが本当なら

僕は人生が始まる前
一番最初の選択で
最高の選択をしたことになる。

253【巫女】

ちょっと不思議な話をします。僕はたまに、自分が自分じゃない感覚になるときがある。氣づいたら、自分の口から、想像もしなかった言葉が溢れて人に語りかけている。自分で言っといて、え!?今の、僕の口が言ったの!?って驚かされて、その言葉に、僕自身がめちゃくちゃ学び、氣づかされる。
例えるなら、
普段閉まっている扉が開いて
天とつながる感覚。
自分で考えて話してるんじゃないんだ。
世界中の情報が詰まってる
集合無意識にアクセスして
そこの中にある答えを
自分の口を通して持ってくるような感じ。
どんな時に扉が開くかというと
お風呂や、トイレなど
水場にいるときや
ファスティングをして
飢餓状態にあるときなど
いつもより感覚が
研ぎ澄まされているときだ。
あと、内観してるときなんかは
開きっぱなしになる。
そしてもう一つは、
特定の人と話してるときだ。
たくさんの人と出逢って行くと
たまに出逢う。
あ、この人と話してると
扉が開くな。
そういう、鍵をもった人がいる。
僕は、天の扉を開けてくれる人のことを
巫女(みこ)
と心の中で勝手に読んでいる。
なぜか、
女性のほうが圧倒的に多い。
たまに男性もいる。
全部巫女と呼んでる。
僕は、僕に、扉を開いているときの
僕の話を、もっと聴かせて欲しいんだ。
あなたも、鍵を持っていたりしないかな。
巫女、募集。

252【私は強いから】

高校のころ、尊敬している同級生がいた。その子と、初めて長く話をした日があった。何か悩みを聞いていたような氣がする。どんな話だったかは覚えていない。ただ、会話の途中で、その子が言った言葉は覚えている。
「私は強いから」

衝撃だった。

そんなセリフを言える人が
目の前にいるなんて。

だって、
私は弱かったんだもの。

弱くて
人と比べて
作った自分を見せて。
そんな思春期。

今ふと
あのセリフを思い出して、
思う。

あのときの
あの子のように、
言えるだろうか。
私が一人でいるとき
あの子のように
私は強くない。
きっと言えない。
私がつながっているとき 「私」の中に
「私」のつながりも含めたとき
言えるようになる。
あの当時はわからなかったが
今の私は
そのつながりの存在を知っている。

だから、今は言える。

私は強い。

251【決して諦めない】

決して諦めない!そう心に誓ったけど、結局、出来なくて諦めてしまったこと、いくつもあるんだ。あんなに決めたのに、あれほどコミットしたのに、それでもやめてしまった。それは僕の中で、ダメなリストとして過去に残っていた。
でもね、加賀谷克美さんの話を聞いてて、ふと思ったんだ。
次の挑戦に、道はつながってるって。

諦めた道は
行き止まりの道じゃなくて
隣の道への分かれ道。

道を戻るんじゃなくて
道を変えるだけ。

戻ってるように見えても
逆方向の道になっただけ。

道を辿っていけば
来た道は全部繋がってるんじゃないか。

確かに、その道はこれ以上
進まなくなった。
でも、道が繋がってるなら、
道を進むこと自体は諦めてない。

何度挫折したって
また夢に向かっていったら
夢を諦めてはいないことに
なるんじゃないか。

隣の道に進んだ瞬間
それまでの道が
今につながるんだ。

ディズニーランドの採用の担当の人が
加賀谷さんに伝えたセリフ 「夢をあきらめないでくださいね。」 この言葉が僕に

過去の道が
全て繋がっていると。

そう、感じさせてくれたんだ。

250【恐れ】

ここ最近、毎日SNSに動画投稿を続けている。ふと、なんでこれをやってるんだろう?って思うときがあった。ある夜布団に入りながら考えていたら、なんか答えが降りて来た。毎日動画を投稿する理由。それは、恐れから来るんじゃないか。

このフォーチュンギフトも
250回続けてきたけど
今だに怖いんだよね。
なんて言われるか。

facebook LiveもYouTubeも
UPする度に、
どう思われるのか。
なんて書かれるのか。

氣になって怖いんだ。

だから、

やる。

初めてだから怖い
慣れないから怖い

それならば、
やってやってやり続けて
当たり前にしちゃえばいい。

はたしてこれは
立ち向かっているのか?
逃げているのか?

恐れを克服するために
やり続けてるとも言えるし

恐れから逃れるために
やり続けてるとも言える。

どっちの側面もあって面白い!

恐れから逃れる(打ち勝つ)ためには、
やり続けて
当たり前にしてしまえばいいんだ。

249【扉を閉める】

あの人に、大切なことを伝えたい。そう思ってたのに、いざ会うと、違う話ばかり。「じゃあまたね。」今日も言えなかった。よし、次そこは!と思い直すんだけど、また勇氣が出ない。「じゃあ、またね。」あぁ、また言えなかった。
そうやって、伝えたいのに、伝えられない。
それを繰り返してた。

でもあるとき、決めた。

言おう。

僕の想いを、伝えるんだ。

決めたんだ。

でもね、人は弱いもの。

今までと同じパターンに
なっちゃう可能性がある。

そうならないように
しないといけない。

まず
うまく言えなくても
伝えられるように
想いを手紙を書いた。

そして、もう一つ
布石を打った。

その日は会ってから
いつもどおり
話して、散歩して、
買い物したりして
最後にご飯食べてた。

ご飯食べ終わった頃
その人は聞いてきた。 「ねえ、
プレゼントってなに?」 聞かれてしまった。

そう、僕の打った布石は
この質問を受けるための一言だった。

会ったときに、最初に
「今日はプレゼントがあるんだ」
って言っておいたんだ。

そうすることで、
「じゃあまたね」する前に聞かれる。

自分で言い出せないから
言い出すきっかけを強制的に作った。

言えないで帰る。
という選択肢の
扉を閉めたんだ。 「実は、プレゼントというのはね、
僕の想いなんだ」

そうして、手紙を読んだ。

どうしても勇氣がでない。

そんなとき、
やらざるを得ない状況を作るんだ。

閉ざした扉に阻まれた流れは
あなたを押す力になってくれる。