290【乖離】

大学のとき、美術史の授業で、美術館について話していた。美術館というものが確立してきたのは、割と近代になってからだ。つまりそれより前の美術作品というのは、このような形で大衆の前に並べられて鑑賞されることを想定して作られていなかった。宗教的役割だったり、個人の観賞用だったりという目的で作られていた。だから僕たちが美術館でその作品の前に立つ時、それが作られた時代や、役割や、意図とは、実は大きな乖離がある。

僕らはそれらを踏まえて

その美術作品と向き合わなければ、

その作品の本当を味わうことは出来ない。

僕はその話がとても印象に残っている。

そしてそれは

人も同じことだと思うんだ。

人と出会って、その人を見たとき

すごいなとか、合わないなとか。

いろんなことを思う。

でも、僕らは

その人と出会った瞬間からしか

その人を知らない。

その人は

生まれてから

色んな人生を歩んできてる。

喜びも、苦しみも、

学びも、経験も。

生まれてきて、

育ってきて、

経験してきた背景があって

今があるんだ。

自分が出会ってからのその人を見て

ああだ、こうだと言っても

その人の本当と

今私が知っているその人の間には

大きな乖離があるんだ。

それを意識し

わかろうとすることで

その乖離は埋まっていくんだ。

#フォーチュンギフト