342【ニセコスキー】

毎年大晦日から1月2日までの3日間は、河端家恒例のスキー旅行だった。おじいちゃんの兄弟、子ども、孫、友達など河端一族30〜50人で参加。大型バスを貸し切って北海道のニセコひらふの山田温泉旅館に泊まりに行った。おじいちゃんが年を取って行けなくなるまで、実に40年も続いた。僕も0歳から年末年始はニセコだったから、20歳くらいでそれが終わった時、正月をどう過ごしていいかわからなかった。

昼前におじいちゃんの家に集合して

大型バスで出発。

中山峠でうどん食べて

バスの中では恒例のビンゴ大会。

旅館の大広間の

二重になってる窓の隙間に

窓一面のビール缶を積み上げて

それが3日間でみるみる減っていく。

子どもたち用にビニル袋に

100円玉がじゃらじゃら入ってて

その3日間は下の売店で

お菓子とジュース買い放題。

大晦日の夜は紅白もほどほどに

ナイタースキーに出かけて

年越しの瞬間は松明スキーでカウントダウン。

ホテルに戻ると樽酒が開いててまた飲んで。

旅館の大広間を貸し切って

夜はみんなで雑魚寝。

男も女も赤ちゃんも年輩も、

全員で布団並べて寝てた。

正月は一番上の第7リフトから

スキー担いで頂上まで登って

誰も滑ってない

完全なパウダースノーの深雪を滑走。

ほぼ吹雪いていたけど

5年に一度くらい、羊蹄山が綺麗に見えた。

ニセコひらふは世界に誇れる山だと思った。

そして今実際そうなった。

吹雪のときはくっついて滑って

第六の壁を繰り返し滑って

昼ごろ山小屋に集合してランチ食べて。

持ってきた樽酒飲んで

夜まで滑って酒飲んで。

帰る前には

「第○○回 河端ファミリースキー」

って横断幕用意して集合写真。

やがて「陽だまりスキー」と名前を変えた。

そんな河端家。

ほんと僕は

この陽だまりの中で育った。

あったたかかったなー。

スキーツアーは今は

やらなくなってしまったけれど

僕の関わる子どもたちにも

あの陽だまりを体験させてあげたい。

#フォーチュンギフト