【祝200回】

紙に書いて投稿するやつが200回を迎えました。(なんかこれに名前をつけてあげたいな。)
読んでくれてる皆様のおかげです。ありがとうございます。
 
せっかくの機会なので200回を振り返って色々書いてみよう。
 
第1回は2014年8月6日だった。
約5年続けていることになる。
 
ここまで決して順調に来たわけではない。
 
発信するということは、
勇氣をともなうことだ。
 
エネルギーに満ちて
上げているように
見えるかもしれないけど
実は不安の中であげているんだ。
 
投稿したあと、
どんなコメントがくるのだろう?
 
批判いっぱいだったらどうしよう。
 
 
不安で、
投稿してから、
しばらくは見ることが出来ない。
 
ついてるコメントが
応援コメントだと
そっと胸を撫で下ろす。
 
 
200回やってきて、
少しはマシになったけど
今だに毎回、恐怖と向き合って
それを越えて、今がある。
 
意外かもしれないけど、
内心はそんな感じなんだよね。
 
 
 
そもそも
なんで始めたのかっていうと、
 
最初の目的は、
 
自分も何か
ブランディングが欲しかったんだ。
 
FacebookとかLINEで
いつも○○をしている人ですよね。
 
そういうのが欲しかった。
 
元になったのは
ずっと前に参加した
美文字朝活。
 
自分が美しいと思う言葉を書いて、
それを発表して感想をシェアする
素晴らしい朝活だった。
 
それで、言葉を発信するって
いいなって思った。
  
けど、SNSできれいな
風景の写真なんかとともに
名言とかをUPする人は
いっぱいいるわけで
 
同じことやっても
しょうがないと思った。
 
そんなときちょうど
Facebookで
どうブランディングしていくか
というセミナーに出て
信頼を作るには顔出しが重要!
ということを教わった。
 
その美文字朝活と、顔出しが
自分の中で結びついて
これになったんだ。
 
 
 
 
最初のころは
受け入りの話とか書いてた。
人から聞いた良い話とか。
 
で、毎回書いた文章に対する
コメント数といいねの数を
分析していた。
 
 
そうすると
自分の想いを
書いたときのほうが
人に響くんだ
っていうことがわかってきた。
 
それに
受け入りの話を書いて
こうなんですよ!
と言った場合
 
それって違うんじゃない?
と突っ込まれても
でも○○さんがそう言ってたし・・・。
と自分の言葉で反論できない。
 
でも、
それを聞いて自分は
こう思った!
こう感じた!
 
ということは
誰も否定することが出来ない
事実なんだ。
 
だから、それを中心に
伝えるようにしてきた。
 
 
 
 
ネタはなくならないの?と
言われるけど
なくならない。
 
どんどん増えて行く。
 
実際あと200個以上ある。
 
全ネタの中から
最高の1本をだす。
 
だから書いたけど後回しになって
何年たっても投稿されないものもある。
 
文章も書いて書いて何度も見直す。
 
だいたい一本書くのに
かかる時間は
1〜2週間くらいかな。
 
だから実は同時に
何本も書いている。
 
大切にしているのは
声に出して読んだ時のリズム
 
そのリズムが心地よいような
改行、句読点、行間
を意識する。
 
あとは、
facebookとタイムLINEでは
表示が違うのでその改行とかは
変えている。
 
基本短く改行しているのは
スマホで見た場合に
意図しないところで
改行されるのを防ぐため
 
一緒にUPする紙の文字も
何枚も何枚も書き直してる。
文字のうまい下手じゃなく
自分の心が乗っているか。
 
納得するまで何十枚でも書き直す。
 
写真もいい表情が撮れるまで
時には何日にも渡って
撮りなすときがある。
 
そして
一番伝えたい事はなにか。
を大切にする。
 
2つのテーマが入ると
ぼやけるので
書きたいことがあっても
削ぎ落とす。
 
そして
自分の心のクセには氣をつける。
 
認めてもらいたいとか
価値観の押しつけとか
そういう感情が紛れ込んで
テーマが歪んでいないか
最新の注意を払って
書いて行く。
 
そして、それらが合わさって
最後の一つは
 
UPする今この瞬間。
この記事に書いてあることを
自分は心から言えるか?
 
という問いに
 
イエス!
と答えれたものだけ投稿する。
 
そんなふうに
書いているのです。
 
 
 

ちょっと長くなったけど、
200回を記念して
自分への保存も兼ねて
書きました。
 
 
 
また地道に続けて行きます。

あ、続けるコツは
投稿する間隔を決めない事。
 
週1回UP!とか決めると
やらなければならない
になってしまう
 
だから2日連続でもいいし
2ヶ月空いてもいい。
あげたくなったらあげる。
これです。
 
 
 
 
そして、いつも
いいねやコメント
ありがとうございます。
 
いいねやコメントはしないけど、
直接会ったときに、
見てるよ。
と言ってくれる人も多いです。
 
そうやって何かしらで
伝えてくれると
励みになります。
 
 
 
今年はこれの
動画バージョンをやります。
 
そして、
FacebookとタイムLINEでしか
やってないため、
過去の記事が全て
流れていってしまいます。
 
第一回とか読めないよね。
 
なので、ブログ形式で
全作品UP準備をしています。
 
お楽しみに。
 
 
 
最後に一つ目標を。
 
本を出す。
 
それはなんでかっていうと
 
おじいちゃんがね、
本を出してるの
そして、
お父さんもね、
本を出してるの
 
だから俺が出して、
3冊並べたいんだよね。
それをやりたいの。
 
2人とも、小話集なの。
 
だから俺も、
こうやって
発信しているような言葉で
小話本を出せたらいいな。
 
 
 
 
またゆるりと
投稿して行きます。

そしてたまには
こんな風に想いを挟んで。

【共鳴】200

自分が尊敬する人、この人すごいなって思う人。そういう人を知ったり、出逢ったりして
感動する。カッコいい!素晴らしい!こんなふうになれたら素敵だな!
でも、その次に思うことは決まってた。自分はあんなふうにはなれない。
輝いてる人を見て、比べて、落ち込んで。
そう思ってたある日
恩師のよしだトレーナーから
教えてもらった。

すごいって思った人に、自分はなれるんだよ。

なぜなら、
その人にすごいと感じた要素を
自分の中に持ってるから。
だから、感動するんだ。

もし全く持ってなかったら
そんな人もいるのね。ふーん。
で終わる。

尊敬する人、憧れる人の要素は
あなたの中にすでにあるものなんだ。

それがあなたの心と共鳴するから
感動するんだ。

これを知ったとき
救われた。

じぁあ、僕の尊敬する
あの人に、僕もなれるんですね!

嬉しかった。


あなたの中にすでにある。

あなたがすごい!って
人に感じる要素こそ
あなたの中にすでにある。

感じるものは、なれるんだ。

【努力】199

先日、イチローが引退表明をした。僕はイチローの言葉で心に残っている台詞がある。サントリープレミアムモルツのCMでのシーン。
「努力は報われますか?」という
質問に対してイチローは答えた。

「報われるとは限らない。
もっというと
努力、と感じている状態は、
まずい、でしょうね。
人には努力に見える
でも自分にとってはそうじゃない
という状態が作れれば
それは勝手に報われることがある。」
 
 
人には努力に見えるけど
自分にとってはそうじゃない。
この言葉にしびれた。
 
 
そうなんだよね。
 
本当に力が出るのは
 
つらいのを我慢して我慢してやる努力
じゃなくて
夢中になってのめり込む努力
なんだよね。
 
もう、それは努力とは感じない。
 
僕もわかるな。
 
動画作って、
何度も朝を迎えた。
画像編集して、
氣づいたら一日が終わっていた。
汗だくになりながら、
暑い中一日中踊ってた。
 
まわりから見ると
ここまでやる?
って思えることも
ただ夢中になってやってるんだ。
 
 
そうやって作ったものは
エネルギーが違う。
 
努力なんだけど、
努力じゃないんだよね。
 
報われなかったとしても
ただそれだけで楽しいし
だからこそ報われるのかもしれない。
 
あの状態を努力というのなら
努力ってたまらなく面白い。

【笑ってはいけません】198

百貨店で働いていたときのこと。教育係の人に、笑ってはいけません。と教えられた。なんで?って思った。笑顔の接客いいじゃん。

それは、こういうことだった。

笑ってる瞬間、
お客様と目があったら
笑うのを止めるでしょ。

そうされたお客様は
自分が笑われたって思うのよ。

なるほど!と思った。

ダメなのは笑顔じゃなくて
笑っちゃうこと。

笑う、という
周りを明るくする
ステキな行為でさえ
人を傷つけることがあるんだ。

相手の立場になって考える
ということを
強く意識させられた教えだった。

【100%お金】197

大成功されてる方の講演で、心に残っている話がある。
「『世の中はお金じゃない』という言葉があります。成功者はよく使いまうす。
自分も成功して豊かになって、その言葉は真実だと思います。
 
ただ、
成功者と一般庶民は
使っている言葉が違うんです。
 
 
『世の中お金じゃない』という成功者の言葉を、一般の方向けに訳しましょう。
 
『世の中は100%お金です。』」
 
 
 
 
なるほど!と思った。
確かにそういうことがあるかもしれない。
 
正直、お金という面での成功は
まだ経験してないから
この表現が正しいのかはわからないし
あえてこの表現を
しているのかもしれない。
 
ただこの
「訳す」という点に関しては
深く胸に刺さった。
 
 
ついつい
同じ言語使ってるんだから
分かり合えるさ
と思ってしまう。
 
ところが
環境、立場によってその意味は
全く変わってしまうんだ。
 
相手の言葉をそのまま
受け取るのではなく
翻訳が必要な場合があるんだ。
 
それができなくて
コミュニケーション失敗した(T_T)
と思い当たることが
ありすぎるほどあるわ。
 
同じ言葉でも、
相手と自分では意味が違う。
翻訳翻訳!

【即行実践】196

先日、宮崎耕一さんの話を聞いたときにシールをもらった。それをスマホケースに貼っている。だから毎日何回も、そのシールの文字を見る。
それは「即行実践」
繰り返し見てるうちに、頭の中に響くようになってきた。
そして言葉に影響されて、行動が変わって来た。

特に変化したのは洗い物。

食べ終わって、食器をシンクに下げて
それでとりあえず後回し。


そこへ響く
「即行実践!」


そうだ!今洗おう!



家に帰ってきて、
とりあえず部屋着に着替えて、
ふーって一息ついて、SNSでも見るか。


そこへ響く!
「即行実践!」


そうだ!
明日の準備と、今日やることを
一氣にやっちゃおう!




もちろんまだまだ
後回しにしちゃってること
いっぱいあるんだけど


小さなことから即行実践してみた。


そしたらね

リズムに乗るんだよね。
エネルギーが高まる。


どんどんやって行ける氣になるし
スッキリと自分をほめてあげられる。



前によくあった
あー、もうこんな時間。
何もやってない・・・

が減っていくんだよね。




今日もよくやった!
って。




これからもシールを貼り続けて
根付かせよう


今やる!すぐやる!即行実践!

【知覚動考】195

『ちかくどうこう』これは仏教の言葉だそうです。古今東西、功を成している人はこの言葉の順番で生きているという。
物事を「知り」、「覚えて」、「動いて」、そして「考える」
でも多くの場合、その逆をやってきたと思う。
「知って」、
「覚えて」、
「考えて」、
 
「考えて」、
 
「考えて」、
 
でも、
 
「動かない」
 
結局何もしない。
だから何も変わらない。
 
 
「知って」「覚えたら」
まず先に「動く!」
そのあとに「考える」
 
この「動く」が大切。
 
この『知覚動考』をもう一度読み直すと
 
『知』は『とも』
『覚』は『かく』
『動』は『うご』
『考』は『こう』
 
続けて読むと
『ともかく、動こう』
となる!
 
 
まずは、やってみる!
 
 
ということで今年は
この言葉を軸において
駆け抜けていきます。

【全部大好き】194

自分自身を承認する。調子のいいときは出来る時はやってあげれられるけど、落ち込んでる時って、なかなか出来なかったりする。
だからそんなとき、人からやってもらったことが、すごく心に残った。

僕が落ち込んでたとき

付き合ってる彼女から
写真が送られて来た。
 
 
見ると
彼女の笑顔と
横に文字が書いてあった。
 
 
 
「どんな崇史も、全部だーい好き!」
 
 
 
 
この言葉に救われた。
 
 
この言葉は
今でもすごく胸に残っていて
よくよく自分に言い聞かせてる。
 
 
 
どんな自分も、全部大好き。
どんな自分も、全部承認。
 
 
 
辛い時も、失敗したときも
どんな自分でも一緒にいてあげて
楽しめる自分になろう。
 
 
 
 
この話、オチがあるとすれば
 
その彼女は
元カノになってしまったということだ。
 
 
でも、もらった言葉は生きてるよ!
ありがとう!


と、いうわけで
一人で寂しいときも
今日という日を楽しもう!
 
 
メリークリスマス!

【行かない】193

初めて弥生さんとセミナーを開催したときのこと。
セミナー当日だったかな。
まだ決めきれてないことが多くて
講師のメンバーで早めに集まって
ミーティングをした。
 
集合時間になって
みんな集まったんだけど
主役の弥生さんだけが来ない。
 
あれ?と思ってると連絡が入った。
 
「ごめんねー。
急用ができちゃって。
直前にならないと行けないかも」
 
多分こんな感じだったと思う。
 
マジか!!
弥生さんが来ないと
話が始まらないんじゃないの?
 
すっかり頼りにしてたので
えー!って思った。
 
でもどうしようもないので
そこにいるメンバーでどうするか
あーだこーだ考えて
なんとかいろいろ決めてった。
 
そして、直前になって
弥生さんがやってきた。
 
「ごめんねー。
どうなったのー?」
 
「こうこう、こうなりました」
 
「オッケー!」
 
そして、ばっちりとセミナーやっていった。
 
そして終わって
「よかったねー!拍手!」
みたいな。
 
 
いやー、事前のミーティングに
弥生さんが来れないとなったときは
焦ったー。
 
どうなるかと思ったー。
 
ふー、無事終わってよかった。
 
という心境。
 
 
 
でもさ、
途中でわかったよね。
 
 
 
この人、わざと来なかったんだ・・・。
 
 
 
  
 
そんなこと出来る?
 
 
 
 
 
いや、僕がその立場だったら
思いつきもしなかったかも。
 
 
んー、思いついてもさ
選べなかったかもな。
 
 
人育てるって
こういうことなのか。
 
 
 
「行かない」という選択を出来ること。
 
なんというリーダーシップなんだ。
 
感動したのを覚えている。