【出る杭】188

「出る杭は打たれる」は有名なことわざ。人よりちょっと抜きん出たり、目立ったりすると、周りから妬まれたりして足を引っ張られ、皆と同じにされる。これを打たれないようにするにはどうしたらいいだろうか?それは2つの方法がある。

一つは出ないようにすること。

みんなと同じに、
目立たずにじっとしていること。

そしてもう一つは
出過ぎること。


出過ぎてしまった杭は、
みなと同じ高さまで打つのも大変だ。

こういうもんなのかなって思う。

だからほっとかれる。



出る杭は打たれる。
 
でも、
出過ぎた杭は打たれない。
 
 
 
 
 
 
 
そしてさらに、
出過ぎたその先があると思う。
 
 
 
どこまでも出過ぎ続けたら
 
 
もうここまで出たなら
いっそのこと抜いちゃおう!と
さらに高みへ持っていかれるんだ。

【自分以外は皆教師】187

この言葉は、20代のころまだ経験も浅い僕に向かって、松岡さんが言ってくれた言葉だ。松岡さんは、すでに成幸されていて、僕は考え方、あり方を学ぶことしかなかった。
 
それなのに、
「自分以外は皆教師だ。
河端くんからも僕は学ぶことがある。」
と言われた。
 
そのとき、
僕は、自分が松岡さんの立場だったら
その台詞言えない!と思った。 
 
僕ならきっと、成功に驕ってしまう。
 
 
相手に対して
教師として、学ばせてもらうのは、
尊敬出来る人だったら、という
条件付きだ。
 
じゃあそうでなかったら?
 
何を基準に条件を判断するの?
 
年齢?収入?容姿?学歴?性別?住まい?
 
僕の中で、無意識に自分が上だ!
と思ってしまう価値観があって、
それで教師かどうかを判断してしまう。
 
 
でも、
松岡さんの言う「皆」
とは全員だ。
 
条件や自分の価値観で見ない。
 
出逢う全てが教師。
 
この在り方が出来る人こそが
本当の成幸者なんだと思った。


【思い込み】186

以前行った小田全宏氏の講演で心に残る話があった。ちょうどサントリーホールで、自らが作曲した組曲「大和」の指揮を初挑戦するころだった。この組曲大和が誕生したきっかけを話してくれた。「のだめカンタービレ」のドラマで主演の玉木宏さんが指揮をやってるのを見たときのこと。
玉木宏に出来て
俺に出来ない訳がない!
と思って
交響曲の作曲、指揮に
挑戦することに決めたという。

頭の枠が吹っ飛んでる。

サントリーホールで
公演をやることを知人に伝えたら
こんな反応が返ってきたそうだ。

「え!あのサントリーホールで
やるんですか!?
サントリーホールといえば
有名な音楽家の方でも
なかなか公演できないという
格式高いホールなのに
一体、どうやって取ったんですか!?」


そう聞かれて

小田さんは
こう答えた。


「簡単です。

サントリーホールに電話して

こう聞いたですよ。」


『空いてますか?』




なんと!

確かに!!


最初から
「取ることはできない」
という思い込みがあったら

その電話が出来ないだろう。


そして反対に
「俺に出来ないわけがない!」
という思い込みがあったから

常識では考えられないことが
出来てしまった。

思い込みは
可能を不可能にするし
不可能を可能にする。

【手放したくない】185

大きな問題ほど、なくなるのに時間がかかることがある。そういった問題は、人生に影を落とす。早くなくなったらいいのに。解決したらいいのに。悩みながら、人に相談したり、苦しんだりして、時間がたっていく。
やがてついに、解決する糸口が見つかった。
「この問題がなくなるかもしれない。」

それがわかった瞬間
芽生えた感情

「この問題を手放したくない」

あれ?
そんなバカな!

ずっと、手放したい!と
思ってたはずなのに。


なんでこんな感情が
沸き起こっんだろう?

意識の裏側を調べていく。

人間は恒常性、ホメオスタシスを
持っている。
本能的に、変化を恐れるんだ。

問題があることが
当たり前になってたから
変化が怖かった?

もちろん、
それもあるかもしれない。


けど、他にもあるんじゃないか。

「問題があること」に
メリットを感じていたんじゃないか。

それはなんだろう。

「やらなくていいこと」
があったのではないか。

大きな問題があれば、
それにさえ集中していればいい。

忙しいのは、ある意味楽なんだ。

もしそれが解決したのなら、
他のことを見なければいけない。

自分の人生に
向き合わなければならない。

それを避けるために
問題解決を無意識で避けて
きたのかもしれない。

この発見は学びだ。

もしかしたら
今抱えている大きな問題
ずっと解決しない問題の裏には
何かを避けられるという
存在理由が
あるのかもしれない。

【あなたは私だ】184

生涯のうちで出逢える人の数には限りがある。人生で関われた人とは、縁があったということだろう。あなたに、出逢うべくして出逢ったんだ。「人は鏡」という言葉がある。
目の前に現れた人は、自分と同じものをもっている。だから、引き寄せあったんだ。

あなたは、私の一部を持っている。

あなたの中に、私がいる。

あなたは、私と同じだ。

あなたは、私だ。

出逢う人、出逢う人に心の中で語りかける。

あなたは、私だ。

あなたを探しているとき
私は、私を探していたんだ。

あなたに出逢ったとき
私は、私に出逢ったんだ。

あなたを受け入れることは、
私を受け入れることなんだ。

私は、私を受け入れる。


けれど
私があなたを
受け入れられないときがある。

あなたは、私だ。

わかるよ。

私が、私を受け入れられないとき
あるよね。

わかるよ。

私は、私だから。

あなたは、私だ。

あなたに出逢うことは
私に出逢うことなんだ。

【ほめあい】183

知り合いの夫婦にこういう会話があった。だんなさんがお家に帰ったら奥さんが部屋をきれいに片付いていた。
だんなさん「○○ちゃんは本当にすごいねー。」
奥さん「だって○○くんのお嫁さんだもん」
だんなさん「僕も見る目があったよ」
こんな感じでどんどん褒めあっていく。まぁ、ただのノロケとも取れるかもしれないけど(笑)僕はこの会話聞いた時、すごいなって思ったんだ。
特に後半の二つのセリフ。
自分を褒めつつ、
相手の価値を上げていく会話なんだ。

あなたはすごい!
から
あたも私もすごい!
の褒め合い。

こんなのを毎日繰り返してたら
日常がどれだけ輝くだろう。

僕もパートナーと常に
こうやって高めあっていこう。

お互いに、自分と相手を同時に
輝かせるコミュニケーション。

そんな素敵な文化を、育んでいこう。

【星月夜(ほしづくよ)】182

円覚寺での坐禅摂心。午前3時に起床し坐を組む。開け放たれた窓からは冷氣のみ入り、窓と外の境界はおぼつかない。やがて空が白み、景色がぼんやりと見えてくる。山の端(は)と空の淵の境目がゆっくりと形を成して行く。
美しい光景だった。
坐禅を組むときは無心のはずが
素人の僕は
外の景色の美しさと共にいた。

僕は札幌の郊外で育った。
森がすぐ近くにあって
毎晩のように遊びに行ってた。

深夜、よく森の高いところに登って
満点の星空を見上げた。

空の頂点は、星を除いて真っ暗なのに
360度の山と空のつなぎ目だけ
淡く光る。

街の明かりでもない
不思議な光。

はるか遠くの
山と空の隙間に
時を捧げる美しさ。

心の底から感動する景色を見たい。

その願いは遠くに行かずとも
いつも目の前にあった。

美しい景色を見たいのなら
空と大地を味わおう。

山の端の淡き光に浮かぶ天蓋
星月夜の美しさは
何物にも変えがたい。

【沈黙】181

大学生のころ、フラれて落ち込んでたとき、友達がそばにいてくれた。「こういう時は一人じゃないほうがいいから」と言って、あとはただじっとそばにいてくれた。一緒に外の田畑を眺めてた。言葉を交わさないで、ただ一緒にいた。

仲良しの子と電話してたとき
ふと静かになった瞬間があった。
そこからただ黙っていた。
電話なのに、お互いに話さないで
ただ黙って、一緒にいた。

自分の中で
色んな感情が湧いてきたとき
それをジャッジしないで
ただ、今それを感じている自分に
黙って寄り添ってあげた。

頭の中に響く声が止まらなくて
それで疲れてしまったとき
その声に反応せずに
ただ黙って、自分と一緒にいた。


ただ、一緒にいた。


言葉を必要としない
関わり方。

あるがままを受け止める。

沈黙という関わり
沈黙という共鳴
沈黙という受容

時には黙って、一緒にいてあげよう。

沈黙とは
美しいコミュニケーションだ。

【素直な感情】180

毎日を感謝の中で過ごそうと意識し続けて、実際にそうなってきた。例えば、文句を言われたら僕はこう考える。「これは自分が作り出した現実だ。だから自分に責任がある。また、向こうも黙ってることも出来たのに、わざわざ言ってくれて有り難い。その役割を引き受けてくれたことも素晴らしいことだ。感謝です」
そんな思考になることは
我ながら素晴らしいと思う。

けれど
注意もしないといけないと思う。

それ本音?
ってこと。

感謝しなきゃと思ってない?
押さえ込んでない?
自分の感情に蓋をしてない?

聖人や仙人のような人なら
全くの淀みもなく
そう思えるのかもしれない。

でも僕は聖人を
目指してるわけではない。
人間を生きてる。

右の頬を打たれたら
左の頬は差し出せないよ。

文句言われたら
最初に思うのは

「は?こいつうるせーな」

ですよ。

その後にそのことを
受け止める解釈は
学びによって変えられるけど

起こること全てが感謝とか
本当に出来るようになるとしたら
100歳くらいじゃないかな(笑)

それまでは
無理して感謝するくらいなら
自分に素直に
怒ってあげよう。

【感謝と感動】179

僕は30歳になるときに、30代の人生のテーマを決めた。それが「感謝と感動」だった。日常の中でいかにそれを感じられるかを意識して過ごしてきた。そしたらいつしか、無意識のうちに感じられるようになっていた。
朝起きて太陽が昇ることに感謝をし
空氣があることに感動する。
ボールペンの持ちやすさの工夫に感謝し
自動販売機の仕掛けに感動する。

地下鉄の通路を歩いていてふと思った。

このタイル、誰が作ったんだろう?

昔は土こねて天日干し
そして焼いてレンガ作ってた。
こんな薄いタイルが作れたとき
感動したろうな。

屋根は誰が作ったんだろう?
昔は洞窟だったり
木の下で雨をしのいでた。
木とか葉っぱ集めて
屋根ってものを作ったとき
感謝されたろうな。

壁に使われるコンクリートを
発明したとき
どんな喜びがあったんだろう?

鉄を溶かして
初めて加工出来きたとき
その人の頭の中に
どれほど世界が広がったか。

この色が作られるまで
植物、鉱物、顔料
どれだけの人が試行錯誤してきたか。

明かりを初めて手に入れたとき、
神の所業と喜ばれ
自分も心打たれたのではないだろうか?

すごい。
今ここにあるもがここにあること
その全てに
ストーリーと、想いが詰まっている。

右も左も、前も後ろも、上も下も
周り全てが感謝と感動だらけだ!

30歳になるときに掲げたテーマの中を
今まさに生きていると感じた。

1年では出来ないことも
10年あれば出来るようになる。

10年意識してれば
きっと当たり前になる。

そして感謝と感動は
探せばいくらでも
目の前に溢れてくる。

当たり前の日常の中にこそ
感謝と感動を、味わおう。