決断。と聞くと、やると決めることだと思っていた。だけど文字をよく見ると、決断という言葉は、「決める」と「断つ」で出来ている。断つことを決める。多くの選択肢の中で、何かをやる、ということは、それ以外の全てはやらない、ということ。一つを選ぶことにエネルギーが行きがちだったけど、他の全部を手放すと決めることが大事なんだ。
決断とは、断つことなんだ。
#フォーチュンギフト
Fortune Gift
決断。と聞くと、やると決めることだと思っていた。だけど文字をよく見ると、決断という言葉は、「決める」と「断つ」で出来ている。断つことを決める。多くの選択肢の中で、何かをやる、ということは、それ以外の全てはやらない、ということ。一つを選ぶことにエネルギーが行きがちだったけど、他の全部を手放すと決めることが大事なんだ。
決断とは、断つことなんだ。
#フォーチュンギフト
小さい頃、お母さんとテレビを見てたら、戦争の番組がやってた。東京大空襲の番組だったと思う。黒焦げの死体が映った。僕はそのとき、ちょっとふざけて「わー!」と目を覆った。そしたらお母さんは「見なさい」と僕に言ったんだ。
「戦争で、人はこうなるんだよ。」と。
今すごく大事なことを言われた。
これは目を背けてはいけない。
忘れてはならない。
子どもながらに、
今の教え
ずっと大切にしておこう
そう思ったんだ。
#フォーチュンギフト
衛藤先生が言っていた。暴力では世界は変わらない、と。相手を理解し、受け入れたとき、世界は変わる。
世界を変えると言うと何か大きなことをしなくちゃいけないと思うかもしれないけど、まずは、自分と相手の小さな争いを止めることから始めてみよう。
今、苦手な人の
良いところを見つけよう。
今、対立してる人の
立場になって考えよう。
今、嫌いな人に
してもらったことを探そう。
今、隣人を愛そう。
理解しあい、受け入れよう。
たった1人の変化は
小さいかもしれない。
でもね、
その小さな愛が
影響しあって
積み重なって
愛情の連鎖となって
世界を変えていくんだ。
#フォーチュンギフト
あるワークを行ったあと、感想シェアの時間があった。シェアしたい人は前に出て、自分の感じたことを話す。僕は前に出て発言した。だけど、僕のあとに続く人はいなかった。僕は、なんで話さないんだろう?前に出て話せばいいのに!と不満だった。
それが声になって出た。
「次の人は?これで終わりですか?」
僕はそれを行った後、
自分のパターンに氣づいた。
怒りでもって言葉を発し
期待を押し付けた攻撃型の
コミュニケーションをしてた。
もし、あのとき、
「終わりですか?」ではなく
「ぜひあなたの話を聞かせてください」
と言ったらどうなったんだろう?
もっと違うコミュニケーションが
あったはずだ。
そしてしばらく後
人前で司会をしながら
皆の意見をまとめていく機会をもらった。
今度は攻撃しない
コミュニケーションをとろう。
「意見ある人いませんか?」
聞いても誰も手をあげなかった。
そのとき、
前とは違う言葉を言えた。
「あなたのシェアが
みんなの学びになります。
ぜひ、想いを発言してみてください。
『前の人と同じです!』だけでもいいです。
あなたのシェアを聞かせてください。」
そして発言があり
その人に対して
心からのありがとうを言えた。
引き出し、受け取る
コミュニケーション。
攻撃を受容に。
自分のコミュニケーションに
氣づいて変えるんだ。
#フォーチュンギフト
生命はどのようなときに進化するのだろうか。地球は、氷河期などの大きな環境の変化が幾度もあって、生命はその度に絶滅の危機に瀕してきた。しかし、その過酷な環境下でこそ、急激な進化を遂げて生き残ってきたそうだ。そうか!進化とはそういう状況でより起こるものなのか!そのことにハッとした。
僕らは、
過酷な環境を生き抜いてきた生命
の子孫なんだ。
逆境でこそ変化し成長出来る能力が
僕らのDNAに刻まれているんだ。
#フォーチュンギフト
大学時代、体育会の部活に入ってた。体育会ってさ、理不尽なこともあるんだけど、慣れてくると暗黙のルールというか、お決まりのやり取りってものがあるのね。それをわかってくると楽しめるようになってくる。
4年生の夏合宿、複数の大学との合同合宿だった。色んな大学のOB先輩が来た。
午後練が終わって晩御飯を食べたあと
OB先輩たちから招集がかかった。
3,4年は集まれーって。
先輩の部屋で、今から宴会が始まるわけだ。
ある酒好きなOB先輩が
日本酒の一升瓶をドンッ!
と置いて一言
「OBと現役で飲み比べしようやー」
おっと!来ましたー!
最初はどうしようかと思うけど
このときの対応には正解がある。
体育会の面白さは、
どれだけお決まりの茶番を
楽しく演じられるかによる。
OB先輩は本当に飲み比べしたくて
言ってるんじゃないくて
学生が飲んでるのを見るのが楽しいんだ。
というわけで、
こう答える。
「押忍、先輩。
先輩と飲み比べだなんてそんな。
自分らで飲ませていただきます!」
一列に並んで
端から一升瓶を回し飲みしていく。
もちろんコップなどはない。
ラッパ飲みである。
そして、飲み方にも答えがある。
最後の一人で少し残すんだ。
この残し加減が重要で
残し過ぎても、ダメだ。
ちょっとだけ残して
「すいません!
飲みきれませんでしたー!
負けましたー!」
って言って
「ガッハッハ、情けねーなー。
でもよく頑張った。」
みたい感じで終わるわけだ。
ところが!
そこで事件が起こった。
最後から二人目のやつが
何を思ったか全部飲み干してしまった。
「おいおい!!」と
心の中で叫ぶ。
お約束の流れが出来ねーじゃないか!
OB先輩も、
無くなったもんはしょうがない。
「足りなかったようだな」
と、もう1本、一升瓶を出してきた。
これ多分
後で飲もうと思ってたやつだろうなー。
しょうがないので2周目に入る。
そうなるともう酔いすぎてて
誰も何もわからなくなる。
最後にちょっと残す流れとかは吹き飛ぶ。
勢いにまかせて
2本目も空けてしまったので
あとで先輩が飲むはずだったであろう
ウイスキーとかが出てくる。
全員ベロベロになって解散。
本能でこのまま寝るとヤバい!と思い
水道の水をがぶ飲みして
胃の中を中和してから吐く。
また水飲んで吐く。
のちに聞いた話しでは
後輩たちは布団に入りながら
3,4年の先輩が夜中中吐いてる声を聞いて
来年はああなるのかと
怖くて震えていたそうだ。
次の日は完全なる二日酔い。
朝日さす美しい浜辺を
ランニングしながら
海に向かって吐く。
午前練もまだ酒が残ってて気持ち悪い。
昼飯食べて
午睡して
午後の練習でやっと酒が抜けて
防具練でボコスカ殴って
そして夜になると、
よっしゃ飲むかー!の繰り返し。
そんな合宿。
あのときは大変だったし
あの時代だから
出来てたこともあるだろう。
今振り返ると
体育会でしか味わえないあの出来事たちは
貴重な思い出として胸に刻まれている。
#フォーチュンギフト
高校のとき、友達とよく家の前で集まって遊んでいた。あるときお酒飲んで騒いでたら、うるさかったんだろう。通報されたようで、警察が来た。友達は逃げおおせたが僕だけ捕まった。家の前で捕まったもんだから、親を呼べ。と言われて、仕方なく寝室で寝ていた父を起こして出てきてもらった。警察もめんどくさかったのか、父が出てくると、「あ、どうも、お父さん。あとお願いしますね。」とさっさと行っちゃった。
僕はさすがに怒られるかなー、と思っていたら
父から思わぬ一言。
「崇史、今度からは地下室を使いなさい」
その日から、
家の地下室が僕らの溜まり場になった。
お父さんの工具や実験道具が
ひしめく地下室は
どんだけ騒いでも音がもれない。
週末の夜は崇史家地下集合。
それを合言葉に
金曜の夜に集まって
土曜の朝6時まで遊んで帰る。
土曜の夜また集まって
日曜の朝6時に帰る。
仲間と深い時間を過ごした。
恋愛のこと、友情のこと、
人生のこと、哲学のこと、
なんでも語り合った。
ビデオ撮影したり
お笑い作ったり
ボードゲームしたり
鍋やったり。
青春の溜まり場。
思春期に、
こういう場所があったことは
よかったなー。
#フォーチュンギフト
父が長く生きられないとわかってからのある日、一緒にスーパーに買い物に行った。「きゅうりどれにする?」「お豆腐は買う?」「お菓子買っていいよ。」僕は父の後ろを買い物かごを持って歩きながら、涙が出た。父に泣いてるのがバレないよう涙を拭って、買い物を続けた。
なんて幸せなんだろう!
氣づかなかった。
家族とスーパーで買い物する、
ただそれだけのこの何気ない日常が
こんなにも幸せに溢れているなんて。
#フォーチュンギフト
毎年大晦日から1月2日までの3日間は、河端家恒例のスキー旅行だった。おじいちゃんの兄弟、子ども、孫、友達など河端一族30〜50人で参加。大型バスを貸し切って北海道のニセコひらふの山田温泉旅館に泊まりに行った。おじいちゃんが年を取って行けなくなるまで、実に40年も続いた。僕も0歳から年末年始はニセコだったから、20歳くらいでそれが終わった時、正月をどう過ごしていいかわからなかった。
昼前におじいちゃんの家に集合して
大型バスで出発。
中山峠でうどん食べて
バスの中では恒例のビンゴ大会。
旅館の大広間の
二重になってる窓の隙間に
窓一面のビール缶を積み上げて
それが3日間でみるみる減っていく。
子どもたち用にビニル袋に
100円玉がじゃらじゃら入ってて
その3日間は下の売店で
お菓子とジュース買い放題。
大晦日の夜は紅白もほどほどに
ナイタースキーに出かけて
年越しの瞬間は松明スキーでカウントダウン。
ホテルに戻ると樽酒が開いててまた飲んで。
旅館の大広間を貸し切って
夜はみんなで雑魚寝。
男も女も赤ちゃんも年輩も、
全員で布団並べて寝てた。
正月は一番上の第7リフトから
スキー担いで頂上まで登って
誰も滑ってない
完全なパウダースノーの深雪を滑走。
ほぼ吹雪いていたけど
5年に一度くらい、羊蹄山が綺麗に見えた。
ニセコひらふは世界に誇れる山だと思った。
そして今実際そうなった。
吹雪のときはくっついて滑って
第六の壁を繰り返し滑って
昼ごろ山小屋に集合してランチ食べて。
持ってきた樽酒飲んで
夜まで滑って酒飲んで。
帰る前には
「第○○回 河端ファミリースキー」
って横断幕用意して集合写真。
やがて「陽だまりスキー」と名前を変えた。
そんな河端家。
ほんと僕は
この陽だまりの中で育った。
あったたかかったなー。
スキーツアーは今は
やらなくなってしまったけれど
僕の関わる子どもたちにも
あの陽だまりを体験させてあげたい。
#フォーチュンギフト
父が亡くなる30分ほど前に、僕は父に話しかけた。「ねぇ、お父さん、4月にふるかわに行ったとき、お父さんは僕にこう言ってくれたよね。
『お父さんは、崇史の幸せのためなら、どんなことでも受け入れるよ。』って。
あの台詞はさ、世界中の子どもたちが、親に言ってもらいたい台詞だよ。あの言葉を言われたいけど言ってもらえなくて、親子関係に苦しんでる人たちがいっぱいいるよ。お父さんは、世界中の子どもの理想の父親だよ。そんなお父さんのもとで生まれて、僕は幸せだったよ。」
亡くなる瞬間まで意識があったと思うから
この言葉は届いていたはずだ。
父は理想の父親そのものの人だった。
僕はこれから
父が教えてくれたことを伝えていこう。
父のストーリーが
誰かの力になることで
パワーストーリーとして
父は生きていくんだ。
#フォーチュンギフト