219【最高】

自分たちの組織やチームを愛し、賞賛できることは素晴らしいことだと思う。
自分たちは最高!それを言える仲間がいるのは、それこそ最高だよね。
でもある時、自分の中に何か違和感を覚えた。それはいつの間にか、「最高」が「正しさ」に切り替わっていたんだ。

自分たちが最高なんだから、
自分たちのやり方が正しい。

正しさは反対を生み出す。

違うやり方はよくないよね。
私たちほうがいいよね。
こうじゃないなら間違ってるよね。


例えば
自分たちが仲が良かったとする。

それは素晴らしいこと。

でも正しいのか?

もめてる他の人たちを見て
よくないと思ってる?

逆の立場から考えると
こう反論できないだろうか。

人と人だよ。
みんなが仲良しって、ある?

本当に本音でぶつかった?



自分たちは正しい。
他は間違ってる。

それって最高?

本当の最高は
I’m OK.
You are OK.

私たちも最高だし
あなたたちも最高!

ではないだろうか。


自分たちのこそ最高!
その心は素晴らしい。

けど、
いつしか、その最高が
排他的な正しさに
すり替わっていないか
常に心に問いかけよう。

218【一歩前】

学生時代は総合格闘技をやっていた。相手と間合いを取り合い、突き、蹴り、投げ、関節をキメて相手を制する。決めの一撃が入ると、「一本!」旗が上がり勝利を掴む。
打つことがあれば打たれることもある。
相手に間合いを盗まれた瞬間、
突きや蹴りが飛んでくる。
 
まずい!
打たれる!
拳は一瞬で顔面に迫ってくる。
 
もう
払うことも避けることも間に合わない。
 
それがわかった瞬間、
たった一つだけ逃げ道がある。
 
 
それは
前。
 
 
ぐっと前に出る。
 
 
そうすることで、
相手の腕が伸びきる前に拳が当たり
突きの威力を殺せる。
 
 
後ろに逃げたら
相手の腕が伸びきるので
勢いは殺せるんだけど、
重心が後ろにあるから
拳があたったときに首がはじかれてしまう。
 
そうすると
一本を取られてしまうんだ。
 
出る事で
受け止める重心と覚悟で
相手の拳を食らっても
揺るがない。
 
「不十分!」
決めの一撃にはならず
旗は上がらない。
 
 
ここはもう避けれない!
その瞬間
 
逃げ道は後ろではなく
一歩前にあるんだ。

217【インドの花】

20代前半、バックパッカーで旅をしていたとき、インドのヴァナラシで一人の少女と出会った。8歳か9歳くらいの物売りの女の子。花とロウソクをガンジス河に流しませんか。と売り歩いていた。
 
2ヶ月間東南アジアを旅をしていて、
正直物売りにはうんざりだった。
特にインドに入ってからはひどかった。
「バクシーシ、バクシーシ(お恵みを)」の嵐。
 
どうやってこの旅行者からお金を取ろうか
あの手この手を使ってくる。
向こうも生活かかってるから、
しつこさややり方が半端ない。
断るだけでも労力を使う。
 
もう辟易していた僕は
「お金は持ってない」とウソをついた。
ガンジス河を見に来ただけだから、
貴重品はホテルに全て置いて来た、と。
 
さすがに払うお金を持ってないなら、
その少女も諦めるだろう。
 
 
そう思ってたら、
少女はこう言った。
 
「あなたは遠くから
旅をして来たのでしょう。
これは私からのプレゼントです。」
 
そう言って売り物の花を一つ
プレゼントしてくれた。
 
 
僕は、あっけに取られた。
 
みんな、むさぼろうとしている人たち
だと思い込んでいたのに、
 
思いがけない優しさに
頭が止まってしまった。
 
 
実はお金を持っていることを
言い出せないまま、
もらったロウソクに火を灯して
ガンジス川に流した。
 
 
その後、僕はその少女を探したけど
見つからなかった。
その商売を取りまとめる
人にも会って
少女を探してるって言ったけど
わからなかった。
 
 
それからは
違う子どもに、同じ商品を売られたら
必ず買ってあげた。
 
2個買って、1個は自分に。
1個はその売っている子どもに。
これは「あなた自身のために」
と渡した。
 
その行いが、いつか
自分がウソをついた少女へ
届くよう祈りを込めて。
 
 
インドの喧騒の中で
いつしか荒んでしまった心。
 
その心を
少女は優しさで包んでくれた。
 
その子たちの売っている花は、
今日もガンジス河を流れている。

216【対話】

自信がなくて、一歩が踏み出せないときがあった。
そのとき自分の中で、どうしたらこの勇氣が湧くだろうって考えて、
学生の頃にうけた、サクセスサークルというのを思い出した。
未来の自分を想像して、体験してるように感じるというワークだった。
 
そうだ!
この自分が選ぶ未来の自分だったら、
解決してるはずだ。
よし、未来の自分に相談しよう!
 
思い立って、
人が来ない道の真ん中で、
対話を始めた。
 
今の自分が、未来の自分に相談する。
今の自分が言う番が終わったら
一歩進んで振り返って
未来の自分から今の自分に
アドバイスする。
 
それを
ずっと一人でやってみた。
 
今「僕、今自信がなくて
 一歩が踏み出せないんです。
 そういうときありましたか?」
 
未来「いやー、わかるよ。
 でも、今成幸した自分からみると
 そのときの一歩が
 すごく自分を変えたんだよね。」
 
今「でも一歩が踏み出せないんです」
 
未来「大丈夫。未来の俺を見てみろ。
 今成幸してるだろう?
 できるよ。というか今それがあるから今の俺があるんだ」
 
今「できた自分がいるんですね」
 
未来「そう、できた自分がいる。
 大丈夫、僕を信じて」
 
そんな会話をずっとしていた。
 
そうすると、自分の中で、
 
そうだよな。
できるよな。
よし!
って氣持ちが高まって行って
行動することが出来たんだ。
 
 
もしも、自分で悩んで
これきついな、無理だなって感じたとき、
 
未来の自分を連れて来てあげよう。
 
そして、
その未来の自分と対話しよう。
 
僕はこの方法で、
今の自分に、
ものすごい力をもらった。
 
 
未来の自分を味方につけること。
 
それが、
「今」の自分にできる力なんだ。

215【誰が見てるか】

人が見てないところでどれだけやっているかが大切だって言うよね。
影の努力は、誰も見ていないようで、誰かが見ている。
神様が見てるとか、お天道様が見てる
なんて言う
 
そんな中で、あなたのことを
一番見てる人がいる。
 
それは、
自分自身。
 
やってきたこと
重ねて来た時間
 
自分は全てを知っている。
自分がずっと見てたんだ。
 
これだけやってきたんだ。
これを乗り越えてきたんだ。
 
その日々が
自分を信じる力になるんだ。
 
誰が見てるか。
そう、自分が見てる。

214【捨てる】

僕は動画を作るのが好きで、今まで何本も作ってきた。その中で、よい動画を作るコツを自分の中で持っている。それは、「捨てる」こと。動画作りで大切なのは、素材選びだ。この素材の用意に9割をかける。

集めた素材、いろんな写真や映像
エピソード。

これも入れたい!あれも入れたい!
と思うんだけど

全部入れるとダラダラ
長い映像になってしまう。

これだけはどうしても残したい素材!

それを右手と左手に
それぞれ持っていたら
どっちを捨てるか。

迷う!苦渋の決断。

実は、その両方を捨てられた時
本当によい動画が作れるんだ。

左右の手を開けることで
一番伝えたいこと、大切なことを
その両手で掴むことができるんだ。

213【隣人を愛する】

今日世界で、たくさんの争いが起こっている。国同士でいがみあったり、宗教の違いでぶつかったり、民族の違いで対立したり。それによって、たくさんの悲しみが生まれている。
もし、お互いのことをもっと理解して、
受け入れられたら、
この争いは減らすことが
出来るんじゃないだろうか。
 
そのためには、
国を越えた交流だったり
歴史や文化の啓蒙活動だったり
相手の教会や寺院で体感をしてみたり
きっと相手の理解につながる。
 
でも、それってちょっと
すぐに出来ないかもしれない。
 
 
大きなことを
やろうとしなくてもいい。
 
今出来る
小さなことから始めよう。
 
 
それは、
隣人を人を愛すること。
 
 
身近な人との関係の中でも
いがみ合い、ぶつかりあい、対立は
起こっている。
 
 
あの人はおかしい!
あなたが間違ってる!
あいつが嫌いだ!
 
その考えは
世界の戦争の原理と
同じじゃないだろうか。
 
 
世界を変えようと思わなくていい
身近な人を愛そう。
 
 
今日ちょっとだけ
あの人はおかしい!
と思ってる人の考えを
理解してあげよう。
 
今日ちょっとだけ
あなたは間違ってる!
と思う相手の価値観を
受け入れてみよう。
 
 
今日ちょっとだけ
あの人が嫌い!
という人の良いところを
探してみよう。
 
 
今、目の前にいる人を
昨日より、ちょっとでいい。
 
 
愛そう。
 
 
 
世界中が、今日ちょっとだけ
 
隣人を愛したら
 
世界が平和になると思うんだ。

212【松の葉】

百貨店で働いていたとき、お客様からお熨斗(のし)を頼まれることがあった。
「寿」「○○祝い」「志」。
いろんな種類がある中で「松の葉」というお熨斗の存在を知った。
ほんのちょっとのお礼のを送りたいときに使う。
松の葉にも隠れるくらいのほんのちょっと。という意味だそうだ。
 
あの細長い松の葉に隠れるって
ほとんどないようなもの。
 
その、ほんのちょっと。
を「松の葉」と表現する
美しさに惹かれた。
 
そして同時に
送る側の
受け取る側に負担をかけさせない
優しさを感じた。
 
 
言葉の美しさと
その言葉を生み出した背景の
温かさ。
 
こういった美しい言葉と心を
これからも大切にしていこう。

【礼】211

礼に始まり礼に終わる。学生時代、武道をやってたときまさにそうだった。武道場に入るときに一礼をする。道場に、礼!お互いに、礼!試合や組手のときも相手に礼!
やっていたときはあんまり
考えてなかったけど
時間が立って、ふと思う。

練習の最初と最後に
行う礼があった。

あれは誰に向けてだったのだろう。

何に対して、の明言されてない礼。

大人になってから
時々、思い出して
考えを巡らせる。

最近になって
こうじゃないかな。
という自分の答えが出てきた。

日本には道というのがある。
剣道、柔道、合気道、弓道、いろいろ。

武道が武道になるまでに
きっと武芸や武術から
汗と努力をもって切り開き
継続と研鑽をもって舗装する。

先人たちが途切れなく
昇華させてきた結晶

道-どう-

その道に礼をするのではないか。


そう思うと
心持ちが変わってくる。

武道だけじゃない。

いろんな場面で
礼をするとき

目の前に見えるものだけじゃなく
今ここまで続いてきた
道を、感じよう。

一回の礼が、深い感謝と
自分もその道にいる
つながりを持たせてくれる。

今日も心を整えて
礼。

【才能】210

ある人のつぶやきが、心に残っている。
「私のことを『あなたは才能があるからいいですよね』とか『あなたはできるからいいですよね。』とか言ってくる人、ムカつくんだよね。
私が、どれだけ努力してきたと思ってるんだ。
最初から出来たみたいに言われると
あの努力を無にされてるように感じる。

言ってくる人たちが
自分ができないのを
自分の才能のなさにしてる間に
私は100倍努力してきた。」

そうなんだよね。
結果を出した
今のその人しか知らないと
最初からすごい人と思ってしまう。

努力は、見えないから。

そして僕も、
その人と同じようなことを
言われた時に近いこと感じた。

僕だって
才能があったわけじゃない。
積み重ねてきたから
出来ることが増えた。

僕がやってきたのと
同じだけ費やしたら
誰だって出来るようになると思う。

むしろ今の僕より
すごくなるんじゃないか。

才能じゃない。
かけてきた時間が違うだけ。

才能に見えるようで
才能じゃないんだ。

だから、ないせいにしないで
やれば出来るってことだ。