378【震災と空襲】

2023年9月1日は関東大震災から100年。10万人以上が亡くなった大災害。その記録を忘れず、防災のために教訓を活かすことが大切だ。

関東大震災から22年後の1945年3月10日。東京は再び火の海となった。東京大空襲だ。また10万近くの命が奪われた。

被害が拡大したのには理由があった。

アメリカ軍部は敵国により多くのダメージを与えるため、関東大震災での大火災を徹底的に分析した。

どこで出火して、

どう燃え広がったかのか。

その記録を元に、

爆撃する場所を決めて実行した。

 

多くの人が亡くなった悲劇を

記録しておくのは

教訓にして多くの人を救うためだ。

多くの人を生かすためだ。

 

なのに、それを、

より多くの人を殺すために行われたのは

歴史の悲劇だ。

 

 

記録は、人を生かすために使うんだ。

 

 

もう一つの震災の悲劇は

流言飛語による虐殺。

 

今の時代、情報があふれている中にいる。

氣づかぬうちに

情報中毒、情報依存になってしまってる。

 

大都市圏での震災は情報の遮断がおこる。

 

依存してたのものを絶たれたら

あるのもにすがりたくなる。

信じたくなる。

 

フェイク情報が信じられてしまうだろう。

 

人を生かすために

この教訓を使おう。

 

もちろん混乱状態の中で、

信頼できるソースなんて

見つけられないだろう。

情報を確かめること自体が難しい。

 

 

ただ、出来ることは、

そういうときに流行る情報は

一度疑おう。

 

 

生き残ったあとを、生き抜くために。

人を生かすために。

覚えておく。

災のあとは嘘が流行る。

 

#フォーチュンギフト

 

 

377【墓まで持ってく】

人生で苦しくて、情けなくて、恥ずかしい話。こんな話は死ぬまで絶対に人に言えないと思ってた。何年も何年も、そう思ってた。どんなに心を開いた講演しようと、これだけは言うことはない、と。

蓋をして蓋をして見ないようにしてた。でもだから、いつまでもなくならなくて、苦しかった。

 

それを感じて、引き受けてくれる人が現れた。

人生で初めて、他人に話した。

その人は、ありのままを受け入れてくれた。

「大丈夫。大丈夫」

それから、誰かに言える機会が増えていった。

様々な言葉が返ってきた。

 

「私はそれが専門なの。具体的に解決に向かって今できることを整理していきましょう。」

と力を貸してくれる人もいた。

またある人は、

「それって、あなたが思うほど追い詰めることじゃなくて、けっこうよくあることだよ。」

とも言われた。

「逆に、わたしはそれがないことでつらいと思うときがある」

という人さえあった。

 

「あなたもそんなに苦しんでたのを知れてよかった。」とも。

 

自分の価値観で絶対悪と思い込んでた苦しみは

多くの人の視線を通して

和らいで行った。

 

 

吐いて、よかったんだ。

 

自分だけで抱えてなくよかったんだ。

 

 

そして、

最初に打ち明けた子はこう言ってくれた。

「打ち明けてくれたことで、私があなたの役に立てて、私が救われるんだよ。」

 

墓まで持っていきたくなるその苦しみには

実は、人を救う力があったんだ。

 

#フォーチュンギフト

#墓まで持ってく

376【弱音はいていいよ】

つらいとき、つらいって言えなくて苦しいよね。

他の人も頑張ってるから言っちゃいけない。つらいのは自分が悪いからだ。マイナスなこと、吐いたら周りによくない。そんなふうに思っちゃう。そして、そんな自分に苦しんでしまう。

弱音はいていいよ。

今、ほんとうは、どうしたいの?

ほんとうは、我慢したくないんだもん。

ほんとうは、弱音はきたいんだもん。

 

弱音はいていいよ。

 

今、弱音はきたい自分がいるんだね。

それでいいんだよ。

 

弱音はきたい、わたし、OK

弱音はきたい、あなた、OK

 

弱音、はいていいよ。

#フォーチュンギフト

#弱音はいていいよ

375【寝れない日】

明日は朝早いのに、寝れない。翌日辛いの分かってるのに、布団に入れない。いや、寝りゃいいだろうって頭では分かってるんだけど、どうもうまく行かない。辛くないのかって?そりゃ辛いさ。

SNSの投稿は、いいことしか上げないからさ、見せてないけどさ、そうじゃない現実もあるんだよ。

 

でもさ、うまく行かないことがあるのが

人じゃない?

 

他人の投稿みて、

あまりにキラキラしてて

自分と比べて

落ち込ちこんでしまうんだね。

 

その人にもね、

苦しいことはあるんだよ。

 

そんなキラキラだけで

生きてるわけないじゃん。

 

辛いことがあって。

苦しことがあって。

 

一緒なんだよ。

 

それでいいんだよ。

 

それでいいの。

 

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374【海の轍】

轍-わだち-とは車輪が通った輪の跡。ローマの街道、シルクロード。人、商品、文化、技術、たくさんのものが通った道は轍が残る。道は陸だけではない。人は海を越えて進んできた。島と島を、大陸と大陸を、交易、交流、繋いできた。ただ、海には轍が残らない。

歴史の中で、どれだけの往来があっても、

海での道は波と消える。

 

人の道も同じだと思う。

何度通っても何度乗り越えても

進んだはずの道には何も残らないこととある。

 

でも、

見える実績や

残る結果だけが全てじゃない。

 

自分の通ってきた海の先で

人と出会い、学びを分かち合い

想いを紡いできた。

 

 

長い歴史の中で

数限りない船が海を渡った。

轍はないかもしれないけれど

確かに世界は

越えてきたもので作られたんだ。

 

見えないから何もないんじゃない。

自分の越えてきた海の先に

轍は残っているんだ。

 

#フォーチュンギフト

373【厚木返し】

青山学院大学は昔厚木にキャンパスがあった。僕の学部は1,2年生は厚木キャンパスに、3,4年生は青山キャンパスに通う。1,2年生の必修科目の単位を落とすと、その授業は厚木キャンパスでしかやってないから、青山から1時間半離れた厚木に通わなきゃならない。そのことを学生の間で「厚木返し」と呼ばれていた。

この呼び名が面白くて好きだった。

 

僕が学生のとき厚木キャンパスがなくなって

相模原キャンパスが出来た。

 

単位落として相模原キャンパスに

通うことはなんと呼ぶか?

 

最寄り駅が淵野辺駅だったことから

「野辺送り」なんて呼び名も登場した。

 

まぁ、さすがに縁起悪かったのか

定着しなかったようだが

よく思いついたなと思う。

 

結局は

「相模返し」に落ちついた。

 

 

明治学院大学も同じようなのがある。

3,4年は白金キャンパスなんだけど、

単位落として

横浜の戸塚にあるキャンパスに行くことは

「戸塚バック」と呼ばれていた。

 

同じく

慶應義塾大学では

日吉キャンパスに単位取りに行くことを

「来日」と呼ばれてた。

 

単位落として前のキャンパスへ。

けっこう大変なことをポップに表現する言葉。

各大学でユーモアを含んだ言い回しが

今でも上手いなと思う。

 

他にも知ってたら教えてね。

 

#フォーチュンギフト

372【w草】

笑うことや面白いと感じてるのを表現するとき「草」って書くよね。「○○で草生える」とか。それがもっと大笑いだと「大草原不可避」とか。さらに上位として「森」「ジャングル」「アマゾン」とかあるみたいね。派生でお嬢様用語として「おハーブですわ」とかね。これ、昔は「(笑い)」だったんだよね。

「○○だった(笑い)」みたいなね。

このカッコつきの(笑い)が(笑)に省略されていった。上位表現は(爆笑)とかだった。

これはまだこういう絵文字😄😆🤣が登場する前の話。

それが(藁とか(ワラになって

やがてwaraと英語になって

略されて

「w」と一文字になった。

wを重ねれば重ねるほど大笑いを表現した。

wwwwwwww

 

そして変換が起こった。

 

このwの連続が

草が生えてるみたいに見えたので

誰かが、草って言い出したんだよね。

 

「(笑い)」が「w」になったのも

「草」が「ジャングル」になるのもわかる。

でも「w」から「草」にした人スゴイと思った!

 

こういう変革、大好きなんだ。

 

同じ道の先でなく

飛躍した道に、新たな文化が作られていく。

その刺激が楽しみだ。

 

#フォーチュンギフト

371【機材を運ぶ】

夏の暑い日。太陽の日差しの下、機材を運ぶ。ただ立っているだけでも汗ばむ熱気の中、重たいスピーカーを担いでるとなおさら汗が吹き出る。今日はよさこいの練習だ。練習で使う機材を車から下ろし、駐車場から体育館まで持っていく。周りから見たら、この暑い中、大変だろうとか、辛そうって思うんだろうな。

でも歩いてる僕の心の中の声は・・・

「幸せだなぁ」

辛い、じゃないの。幸せなの。

幸せという感情の中運んでるの。

 

本当に好きなことって

全部楽しいんだよね。

ここは楽しいけどここは嫌とか、

ないんだな。

 

準備も、練習も、本番も、片付けも。

 

全部しあわせなの。

そういうものに出会えたことも幸せ。

 

あなたにとって

全部しあわせな

大好きなことはなんですか?

 

#フォーチュンギフト

370【mixiの衝撃】

時代と共に新しいSNSが生まれてくる。流行るもの、消えて行くのも。でもSNS自体はもう流行るとかそういう次元から、なくてはならないものになっている。僕が初めてSNSというものに出会ったのは大学生の時、mixiだった。衝撃だった。

グループで共通の興味をもつ人同士が繋がれるという仕組みがあった。「全国のよさこい好きな全国の人と繋がれるってこと!?」って興奮したのを覚えてる。まだハッシュタグという文化がないころの話。

 

mixiで色んな人に出逢い

人生が変わる出逢いもあった。

mixがなければ

全く違った人生になっていた。

 

今後も色んなSNSが出てくるだろうけど、

人と繋がれるという世界になったときの

衝撃は凄まじかった。

 

そして長年使ってきて思う。

出逢いだけじゃなく、

つながりが維持できるということ。

 

日々の交流や情報共有といった役割は

もちろんSNSの醍醐味だが

僕もこうやってSNSをやっているから

リアルではなかなか会えてない人も

ずっとつながれている。

 

それは偉大な恩恵だ。

 

つながれてることに感謝します。

 

これからもつながって

そして、また会いましょう。

 

#フォーチュンギフト

369【手作業】

エクセルの関数とか、プログラムを覚えたら、それらが計算をやってくれて作業が早くすむ。それってすごいんだけど、そこで陥りがちな罠があるんだ。覚えたから何とかして使いたくなっちゃうんだよね。サクッといけばいいんだけど、意外と時間かかっちゃって結局手で入力したほうが早かったよね。っていうオチになることがある。

きっとスポーツの世界とかでも

あるんじゃないかな。

新しい技覚えたから

どうにか使おうと頑張るんだけど、

結局基本の技が一番うまくいく。

みたいな。

覚えたてのころって使いたくなるんだよ

でも落ち着こう。

技を使うのが目的じゃなくて

出したい結果を出すのが目的。

その為に一番早いんだったら、

シンプルにこれをやろう。

マンパワー手作業!

ほら、意外と早く終わった。

#フォーチュンギフト