フォーチュンギフト300回を記念して記念対談を行いました。対談してくれたのはヒーリングアーティストのあまき寛子さん。フォーチュンギフトをなんで始めたのか、どんな想いがあるのか、これからの展望などをお話ししたよ。そして後半はひろちゃんの点描画についての対談です。YouTubeにUPしたので、どうぞご覧ください。
前半(フォーチュンギフト)
後半(ヒーリングアーティスト)
フォーチュンギフト300回を記念して記念対談を行いました。対談してくれたのはヒーリングアーティストのあまき寛子さん。フォーチュンギフトをなんで始めたのか、どんな想いがあるのか、これからの展望などをお話ししたよ。そして後半はひろちゃんの点描画についての対談です。YouTubeにUPしたので、どうぞご覧ください。
前半(フォーチュンギフト)
後半(ヒーリングアーティスト)
僕の人生を変え、そして変え続けているもの。それは間違いなく「内観」だ。内観を知ったのは18歳。大学1年生のときの石井先生の講義でその名が出てきた。20歳の夏、1週間の集中内観に行った。その後、集中内観は6回行き、日常の記録内観は15年間以上。特にここ8年間は一日分も欠かさず続けている。その積み重ねは大きい。その中でやはり、初めての集中内観での氣づきは大きかった。
僕はそれまで、
お父さんのことで嫌いなことがあった。
お父さんは
夜はお酒を飲んで早く寝てしまった。
そして朝すごく早くに起きていた。
高校生の僕はそれが
老人みたいだと思って嫌だった。
でも、集中内観を気づいたのは
その朝に起きてしていた事実を
調べたときだった。
お父さんが朝早く起きてやっていたこと。
それは、時間をかけて
朝ごはんを作ってくれていたんだ。
毎朝、食卓に乗り切らないほどの
料理が並んでいた。
そして、僕の高校に持っていくお弁当は
とても豪華だった。
でも僕はその作るところは
寝ていて見ていない。
僕は起きて見たのは
お母さんがおかずを
お弁当箱に詰めてるところだ。
見てないから氣にもしてなかった。
早く寝てしまうお父さんは嫌だ。
その感情が事実を隠していた。
そして集中内観を通して事実を調べた時
その事実が事実として
圧倒的に突きつけられた。
3年間、あんな豪華な朝食と
あんな美味しいお弁当を
作り続けてくれたお父さんが嫌い?
とんでもない!
なんて偉大な父親なんだろう。
いっぺんに大好きになった。
それから
僕は家族への関わりが変わったんだと思う。
前よりずっと家族が円満になった。
みんなは変わってない。
僕が変わったから変わった。
つまり、なにか引っかかっていたのは
僕が原因だったんだ。
内観の氣づきが無ければ
僕はきっと
あそこがダメだ、あれが悪いと
人のせいにしてた。
特に家族には甘えと依存で
自分の感情を通して
都合のいい事実しか
見てなかったと思う。
内観により
事実を事実として氣づかされた。
初めての集中内観で
1週間内観して久しぶりに
外に出たとき、景色が違った。
目の前の林や、空を見て
こんなにも世界が美しかったのか!
こんなにもキラキラの光の中で
僕は生きていたのか!
と、驚いた。
僕は内観が世界に広がれば
その分世界に幸せが広がり、
内観した人が増えれば
その分世間は生きやすくなると
信じている。
内観とは
以下の3つの質問を
自分に投げかけて調べる。
・していただいたこと
・して返したこと
・迷惑をかけたこと
その質問を知らなければ
「してもらわなかったこと」や
「迷惑をかけられたこと」ばかり
調べてしまう。
ただ、3つの質問に向き合うだけ。
講師や、メンターや、師匠はいらない。
自分で調べ、自分で氣づく。
集中内観は
1週間という時間
ただひたすら3つの質問だけに
集中する。
一度氣づいてしまったことは
氣づく前には戻れない。
成長曲線の角度を変える。
内観をして1年、2年と経つと
その変化が大きくなる。
僕も20歳のときに受けてなかったら
今どんな人生歩んでたか恐ろしい。
人のせいにして
感謝なんて上っ面だけで
生きていたと思う。
内観に出逢えてよかった。
僕は
様々なセミナーや講座に出て
色々と学んできた。
それら全ての中で
学びの広さ、氣づきの深さの
頂点は、内観だ。
内観によって
相手の立場にたって考えることを
学んだ。
内観によって
自分がものすごい恩の中に
生かされているこに氣づいた。
内観によって
自分がいかに深く愛されて
きたかを知った。
これからも毎日
内観を続けていく。
僕と出逢い、関わる人が
心地よく過ごせるように。
#フォーチュンギフト
あのときああしていたら、今は違っているのに。そうやって悔いてばかりいると、過去を生きていて、今を生きていない。そんな生き方はしたくない。なら逆に、いつかこうなるんだ、と将来のことを見て、いつかいつか、と未来を生きていた。未来を生きる。と言えば聞こえはカッコいいかもしれないが、いつしか未来に囚われてしまった。
今の俺はこんなもんじゃない
本当はこんなことしたい訳じゃない
と今を否定してた。
未来を生きることは
「今を生きてない」ということでは
過去を生きることと同じことだ。
目の前のこの瞬間を生きずに
いつを生きると言うのか。
今ここ
この自分で
過去でも未来でもない
今を生きる。
#フォーチュンギフト
笑顔がいいよね、って言われる。素直に嬉しい。そう言われるのは、実は理由がある。僕は自分がどんな顔をすればいい笑顔になるか知っているからだ。それは、毎日の写真のおかげ。このフォーチュンギフトは年に50本くらいUPしている。そのたびに笑顔の写真を撮ってる。そして、誕生日おめでとうって書いて笑顔の写真と共に送ってるのは、年間600人くらい。つまり、ならすと毎日2枚くらい、自分の笑顔を撮ってるわけだ。
毎日撮ってると、その分その時間、
笑顔をするから、
顔の筋肉が覚える。
だから、普段も自然と笑顔が多くなる。
笑顔でいると、
氣持ち明るくなるし
それを見た周りも明るくなる。
最近笑顔でいる時間は多い?
さぁ、自分の笑顔を確認してみて。
それを顔に形状記憶!
あなたの笑顔、素敵だよ。
#フォーチュンギフト
初めて彼女が出来たとき、僕はその子にすっかりハマってしまった。2人でご飯を食べていたとき。僕は彼女の顔をじっと見ていた。きっとそのときの僕の顔が、あまりに「好き!」って顔をしてたんだろうね。
彼女がおもわず言った。
「私に溺れてるね(笑)」
僕は返した。
「うん。
そうなの。
だから・・・。
助けないで。」
そんな状態を楽しんでたいときもあるよね。
#フォーチュンギフト
バックパッカーでヴェトナムを放浪していたとき、ホイアンという街で、チケットトラブルに見舞われた。そのとき、対応してくれた観光窓口にいた青年と、仲良くなった。彼は翌日仕事のない時間に、ホイアンの街を案内してくれた。現地の人しか行かないお店でご飯を食べたり、ビーチにある高級ホテルの部屋を訪れてお金持ち体験して遊んだり。プラベートプールで僕の帽子をかぶってデジカメで撮った写真を、写真屋で現像して喜んでいた。仕事のあとに、また合流して一緒にビールを飲んだ。
彼はうちに招待してくれた。
彼のバイクの後ろに乗って
片道30分くらい。
バイクの後ろに乗りながら、
一緒に歌を歌おうとなった。
お互いの国の曲などわからない。
どの曲なら知ってるかな。
そして行き着いたのがビートルズ。
二人とも歌詞はよくわからない。
「イエスタデイー、フンフンフンフー♪」
「レットイットビー、レトビー、トレビー、レトビー、フンフンフンフー、レトビー♪」
みたいなね。
僕という日本の青年と、
彼というヴェトナムの青年。
同じ曲でつながれたことに
感動を覚えた。
翌日、僕がダナンの街に行く時、
1時間以上かけてバイクで送ってくれた。
ガソリン代はいらないと言ってくれた。
僕は日本からかぶってきた
帽子をプレゼントした。
彼の夢は、
タイに行くことだと言っていた。
日本からタイに行くのは、
行こうと思えば行ける。
僕もその旅のあと行った。
でも彼にとっては
お金を貯めて
いつか、タイに旅行に行く。
それは現実の延長にはないこと
だったんだ。
一ヶ月の給料が、日本円で3000円だった。
グエンと言ったかな。
底抜けにいい人だった。
まだSNSやメールアドレスを
みんなが持ってない時代
連絡先はわからない。
元氣でやっていることを、
夢が叶っていることを願う。
彼と歌ったビートルズが
今でも耳に残っている。
#フォーチュンギフト
ん?仕事や日常の中で、なんらかの違和感を感じた時。それをスルーしないように心がけてる。何かちょっとひっかかることあっても、気のせいかなと思って通り過ぎてしまって、何か問題が起こった時、思い返せばあれだったか!となることほ多い。氣づいてたのに。あのとき、違和感を放置せず、しっかり確認しておけば・・・。と反省する。
もちろん、
調べても結局なんでもなかった、
というほうが圧倒的に多い。
だけど、その中の本当の一回が、
重大な問題だったとしたら大変だ。
部下にも日頃、違和感があれば
スルーせず報告するように言っている。
結局ただの見間違いや
業務に支障のない
小さなことだったとしても
「その違和感をそのままにせず
報告してくたこと素晴らしい!
次回も違和感があったら
直ちに教えてください。」
と、お礼と依頼を伝えている。
そうすることで
自分にも人にも
トラブルの予防策になるんだ。
違和感を感じたら、
立ち止まって、確認しよう。
#フォーチュンギフト
北海道から上京してきて20年がたった。初めて一人で東京に来たのは、大学受験のとき。驚いたことがいくつもあった。まずビルが高い。新宿で、「ビルたけー!」と上を向いて歩いたのを覚えてる。札幌は火山灰地で、いまでこそ高層の駅ビルがあるけど、当時は高くても十数階で、そんな高いビル見たことがなかった。とにかく見上げて驚嘆していた。
それから駅が、駅じゃない。
僕の知ってる駅の概念は
改札は一ヶ所。出口は右か左だ。
新宿駅で降りて意味わからない。
まず改札がわかならい。
改札出ても出口がわからない。
駅なのに、店がある。
どこまでが駅なのかわからない。
ホテルまでの道が分からなくて
周りの人に聞いた。
よくわからないと言われた。
地元の人なのにわからないの?
と思う。
先輩の家に行こうとして
駅と駅の間の間隔の違いに驚く。
札幌は1駅1〜2分。
10駅だから15分くらいで着くだろうと
思ってたら全然着かない。
そして、電車に乗っていると
いくつかの駅を通り過ぎた。
パニックだ。
なんでここは止まらないの?
そして途中の駅で降ろされた。
またパニックだ。
なんでここで止まるの?
急行という概念も
当駅止まりという概念もなかった。
コンビニでおにぎり温めますかと
聞かれないし
エスカレーターでは
左側止まって右側進むし
○I○Iはオイオイと読んじゃうし
人多いし
変な人いるし
空氣が汚いし
上京組の友達と情報を集める。
服は原宿で買うのがオシャレらしい。
いやいや、原宿の奥に、
裏原と言われるとこがあって
そここそ本物のオシャレらしい。
歌舞伎町を歩いただけで
後輩に電話してた。
田舎ものだったな。
家の前に
キツネが来るようなところから
出てきた僕には
カルチャーショックだった。
長くいるといつしか
当たり前になっていくことも
思い出すと
はじめは戸惑っていたんだな。
そんな東京に
もう人生の半分以上住んでいる。
#フォーチュンギフト
いつも当たり前になっている身の回りのものを、意識して見てみたら、感動にあふれていた。家に帰ってきたときに、ドアの鍵を開ける。ちょっと待って!この鍵で開くのはこの部屋だけで、他の部屋はあかないんだよね。それってすごくない?ドアを開ける。このドアは片方が固定されて、開く。蝶番ってすごくない!?誰が作ったの!?そして鍵を閉める。待て待て待て!さっきは複雑な鍵の形で開いたけど内側からはツマミをひねるだけで閉まるって、鍵作った人天才かよ!!
勝手に開かない仕組みもすごいし
ノブ下げただけで
開け閉めできるのもすごい!
中から外は見えて
外からは見えない
ドアスコープもすごい!
内鍵ってシンプルな構造だけど、
最初に思いついた人はすごい!
何もない世界にいたら
自分で思いつくのなんて
不可能だ。
たぶん立板を立てかけたものを
ドアとするしかないよ。
いつも当たり前に使っているものは
よく見たらとんでもない知恵と技術が
詰まっている。
感動と興奮が押し寄せてくるほど
すごいんだ。
#フォーチュンギフト
日本メンタルヘルス協会のプロコース。僕は行く前にたくさんの先輩たちにインタビューした。プロコースは長いようで始まればあっという間に終わっちゃうよと教えてくれた。後悔はしたくない。最初から飛ばして行こう。自分が今まで学んできたリーダーシップを、全部注ぎ込んで、最高の期にしようと決めて参加した。イベントも企画・主催して、たくさん立ち上がったプロジェクトも全部参加した。
そして4ヶ月ほどたったある日
僕はある違和感を感じた。
全部に参加してたから
大変だと思うはずなのに
逆に
楽だなと感じた。
なぜ楽と感じるんだろう?
僕は自分の心を調べてみた。
その原因は
全部に参加していて
全体の流れが
わかるようになったからだった。
最初は
無我夢中で走っていた。
だけど
ある程度流れが作れてくると
やりたいように出来る。
楽というのは素敵なことだけど、
成長を止める蜜でもある。
このあとはどうしよう?
もっともっと
リーダーシップを突き詰めて
自分の限界を突破していくか?
それとも、別な道にする?
しばらく考えて
選択をした。
今の延長にある「道」より
まだ知らない「未知」を選ぼう。
リーダーシップを追うより
リーダーシップを降りようと決めた。
次の役目は
新たなリーダーシップを発揮する人を
裏方から支えること。
それが僕にとって
一番学びの多い「未知」だと感じた。
だからプロコースでの後半は
少し後ろに下がって
関わるようにした。
そしたらね
違う景色が見えたんだ。
それはとても学びが深く
僕があのままの道を行っても
決して見ることの出来ない景色だった。
新たな道で、未知に出会おう。
#フォーチュンギフト