241【朝日】

朝、目が覚めたら一番最初にすることがある。それは、カーテンを開けて、太陽に向かって拝むこと。「太陽さん、エネルギーをありがとう」人の身体って、生理学的に、太陽の光を浴びると目が覚めてくるそうだ。それは太陽が昇ったら朝、という太古から遺伝子に刻まれたことなんだろう。まだ眠たくても、これをやると身体が起きてくる。

まだ太陽が顔を出す前から、
空は明るくなり、
雲は光を反射して黄金に輝きだす。

払暁の空は尊さすら感じる美しさだ。
何が美しい芸術作品を見るために
遠くへ行くことが出来ないなら、
世界中の誰かの元にも訪れる
太陽の登場に立ち会おう。

自然と手を合わせたくなる
神々しさがある。

毎日当たり前にあることのようだけど
改めて考えると
すごいこと。
毎朝奇跡だよな。

すごいなー。
すごいなー。
ありがとう。
ありがとう。

感謝と感動から始まる朝は
氣持ちいい。

240【普通】

あの人は普通の人だよ。あの人は普通じゃないよ。「普通」ってなんだろう?ずーっと、疑問に思ってた。例えばクラスに40人いたとする。自分を除いて、他の39人のことを普通の子だと思うか、そうじゃないか。そんなことを聞いたら何人に普通とつけるだろう?そして、他の39人全員から、あなたは普通という回答をもらう子は何人いるだろう?それがもし少数なら、それ自体が普通から離れてしまうんじゃない?
普通って、どこにあるのかな。

239【文字の上に文字】

その日のまとめをしよう。僕が話してることのメモをとるのに、その子は手近なチラシを取った。普通はさ、チラシの空いてるところにメモを書くよね。その子はね、文字の上にメモを書き始めたんだ。ええー!!僕は衝撃だった。思わず突っ込んだところ、「色違うから読めるじゃん」いや、そうだけど。そうだけど、、、思い付きもしなかった。

僕はそれから
テキスト上にノートをとり
その文字の上に
メモを書くようになった。

色んな色を使って書けば
確かに読める。

文字をキャンパスの背景に加えたら
テキストの狭い空白から卒業して
全面にのびのびとペンを広げられる。

縛られてたのが自由になった感覚だ。

こんなふうに書くなんて
僕の当たり前の中にはなかった。

常識を覆されるのは
なんて楽しい発見なんだ。

238【ジタバタ】

少年時代大好きだった漫画『ダイの大冒険』。その中で記憶に残るシーンがある。世界が魔王軍に襲われ、戦っているが、魔王に打ち勝つ手立てなどないのではないか?いまさらジタバタしても何も始まらない。と大臣たちが嘆き、おろおろする中、勇者アバンが言った。 「何言ってるんですかみなさん‼︎」
「何もしなければまさに何も始まらないでしょう?」
「ジタバタしか出来ないなら方法はひとつ・・・!!」 「みなさん!
ジタバタしましょう‼︎」 ジタバタするしかないときは
何も出来ないときじゃない。

まだジタバタできるんだ。

何もしなければ何も始まらない。
って台詞はまさにその通りだ。

何も出来ることはない、
そう思うときこそ、
ジタバタでも、悪あがきでも
何かやってやろう。

237【ベクトル】

「あたなのために言ってるの。」そうやって言うとき、本当はどっち?本当に相手のため?本当は、自分が言いたいから。自分がそうして欲しいから、言ってることはないかな?反対に、言わなかったのはなんで?これ言うと相手を傷つけてしまうかもしれないから。それは本当?本当は、自分が嫌われたくなくて言わなかったのではないの?

相手のためにと言いながら、
自分にベクトルが向いてるときがある。

僕はベクトルは向いてる方向に
正解はないと思う。

あなたのためにが正しいことも
自分のためにが間違ってるなんてことはない。

ただ、
自分はどっちのベクトルを向いてるか。
そこに正直にいかないと
どこかでほころびが出てくるんだ。

自分が一番知ってるから。

相手のためにと
言い聞かせるくらいなら

いいんだよ、自分のためで。

あたなの思いと
言動は一致してる?

ベクトルの向きに正解はない。
自分の本当の向きでいいんだ。

さぁ、今言おうとしてること
ベクトルどっち?

236【ラオス警察】

バックパッカーでラオスを訪れていたときのこと。

その日はちょうど旧暦の正月で、ピーマイラーオと呼ばれる3日間の正月行事で盛り上がっていた。

そんな中事件は起こった。

私がパスポートをなくしてしまったのだ。

海外でパスポートをなくすのは、一大事だ。

急いで警察署に駆け込んだ。

窓口に人はいなく、

1階のホールで何人かが机を並べていた。

「すいません、パスポートを

なくしちゃったんです!」

「それは大変ですね。

ただ、すいません。

今日はお正月で、

我々はこれからパーティーなんです。

明日来てください。」

え!?

あっけに取られた。

「確かにお正月から

大変申し訳ないのだけど

パスポートはとても大切なのです。

届いたら連絡して欲しいので

紛失の手続きだけでもしたいんです。」

「そうですよね。

わかります。

わかるんですが、、、

今日はこれからパーティーなんです。」

警官は、申し訳なさそうに

「トゥデイ、パーティー、

ピーマイラーオ、ピーマイラーオ」

と繰り返した。

これ日本だったらないよなー。

困ったー。

しぶしぶ宿に帰った。

でも、少したって、

そのゆるさいいなって思った。

正月でも職務は全うしなければならない!

という思いがあったんだな。

そのゆるーい感じが

この国の好きなところだ。

だからラオスに一ヶ月もいたんだと思う。

焦ってた氣持ちが、

なんか、ホッとした。

僕もその日は

パスポートのことは忘れて

正月の祭りを存分に楽しんだ。

(パスポートはそのあと無事に見つかったよ)

235【怒り】

正月に、めっちゃ腹立つことがあった。

きっかけは、もらった年賀状に、送り主の住所が書いていなかったことだった。

僕は失礼だな、と思ってイラッとしたけど、

それは考えなおした。

「住所を書くべきだ。」

と思っているのは僕の思い込みかもしれない。

書かないという価値観もあるのかもしれない。

住所を書けない理由があったのかもしれない。

理由は、いったいなんだろう?

僕の中で、ある理由が頭に浮かんだ。

もし、その想像があっていたとしたら、

ムカつくなと思った。

時間がたっても

怒りが収まらない。

モヤモヤした。

どうしても確認したくて

本人に会いに行って

直接聞くことにした。

「住所が書いてなかったの。

なんでかな?」

「書いてなかった?

忘れてたかも!ごめんね。」

ああ、よかった。

僕の想像した理由じゃなくて。

確認してよかった。

でも、その先の会話で

こんなことが出てきた。

「もしかしたら

書き忘れたんじゃなくて、

潜在意識で書かなかったのかもしれない。

返事なんていらない。

私のためにあなたの貴重な時間を

使わなくていい。

そう思ったのかもしれない。」

僕は、それが怒りの理由だった。

「僕は返事を書きたいの。

あなたのためなら、

そのくらいの時間も、

労力も惜しまない。

あなたは僕にとって大切な人なの。

僕の大切なあなたを

あなた自身が卑下しているとしたら

腹立ってしまって。」

僕はそれで怒っていたんだ。

自分が大切に思ってる人を

バカにされたり

価値がないってされたら

自分のことをそう言われるより

怒ってしまうんだ。

その感情に氣づたとき、

自分もきっと逆のことがあると思った。

自分が自分を大切に出来ないとき

自分のことを大切に思ってくれる

人からしたら

やめて!

って思うんだろうな。

あなたが自分を否定するときも

そんなあなたを、

大切に思っている人がいるんだ。

234【受け取る】

「受け取っていったら、溢れませんか?」

そう質問されて、僕は、溢れないと思う。と答えた。

でもそのあとで、その質問について、じっと考えた。

受け取ったものは溢れない、氣がする。

なんでなんだろう?じっとじっと考えた。

色々考えて、僕の中で一つの答えたどり着いた。

受け取ったものが溢れるのではない。

受け取れないものが溢れるんだ。

受け取れなくて

一時保管場所に入れといたものが

いっぱいになって溢れるんだ。

じゃあ、受け取れたものは

どこに行くんだろう?

消えちゃう?

4次元ポケット?

いや、違う。

消えない。

受け取ったところにある。

でも、

いくら受け取っても、

溢れることはない。

なぜなのか。

それは、

器の分しか受け取れないから。

器を超えたら溢れる?

そう、溢れる。

器はどうしたら大きくなるんだろう。

それは

与えることで

大きくなる。

与えた分しか

受け取れないんだ。

どうやったら受け取れる?

受け取れないときはどうしたらいい?

受け取ることに

フォーカスすると

溢れてしまわないか?

という考えになってしまう。

与えることに

フォーカスする。

まず与えるが先なんだ。

「受け取っていったら、溢れませんか?」

「どれだけ受け取っても、溢れないよ。」

もし今答えるとしたら、

こんな感じ。

じっと考えたけど

この答えに辿り着くまで

それまでの

たくさんの経験が必要だった。

頭ではわかっても

与えると受け取るってことを

体感で理解するのに8年かかった。

与えるのものが、受け取るもの。

これが、宇宙の法則なんだ。

233【一本】

233【一本】

学生時代、同じ大学に空手の全国大学選手権で史上初の四連覇をした先輩がいた。体育会の総会で記念演武を見たときに、芸術作品かと思った記憶がある。大学のスポーツ新聞に、その人のインタビューがのっていた。

突きを10本やる。そのときに、10本をやるのではなく、一本。一本。と一本を集中して打った。

そんな話だったと思う。

日常にかまけていると、惰性が襲う。

例えば

話や、発表が終わって拍手をした自分。

今の拍手、どういう思いでしたかな?

振り返って考える。

賞賛を込めていたか?

承認を込めていたか?

流れでやってしまっていることがある。

挨拶はどう?

ありがとう。

さようなら。

いただきます。

お願いします。

言葉の一つ一つ

油断して

作業になってしまっているときがある。

そんなとき

彼女の記事を思い出す。

10回やっても

100回やっても

その一本。に、

その一回。に、

心を込めて。行おう。

232【大名かよ!】

232【大名かよ!】「大名かよ!」最近このツッコミが自分の中で出てくる。中華屋に行ったら、380円で料理がすぐに出てきた。追加で頼んだビールもすぐに出てきた。キンキンに冷えて。江戸時代ならご飯を食べようと思えば、自分で育てて、収穫して、作って、食べる。それが当たり前。こんな少額で、あっと言う間に、作ってくれた料理が目の前に運ばれてくるなんて、「大名かよ!」
電車が、乗る私のために動いてくれてる。
コンビニが、行く私のために、深夜でも開けていてくれてる。
こんな暮らし、昔は、大名とかしか出来なかったよな。いや、大名以上か。
あまりにも便利だとさ思わずつっこんでしまう。
そんな暮らしが出来ている今ここがありがたいな。