368【懸けてきた】

よさこいを24年やってきて、初めてチームを運営るす立場になった。それは大変だったけど、審査発表で、準大賞でチーム名が呼ばれた時、号泣した。色んな感動が溢れてできた。

自分が感動するのはどれだけ懸けてきたか、だと実感した。今まではいち踊り子としても懸けて来たけど、運営する側として懸けてきたものは比じゃない。

思えば、2019年のYOSAKOIソーラン祭りのテーマは

「365分の5。この日のために懸けてきた。」

だった。

僕はコロナで果たせなかった想い

を加えてたから、

実際は「1000(以上)分の2」だ。

 

この日のために懸けてきた!

 

よしだトレーナーの言葉が響く。

「懸けたものしか受け取れない」

 

きっと、もっといい賞を獲っても

懸けてこなければ

ここまでの感動はなかった。

 

受賞発表のあと

1人ずーぅっと泣き止まず

20分くらい泣きじゃくってたそうだ。

 

懸けてきたから、受け取れる。

#フォーチュンギフト

367【今あるもの】

選択。それは大きなエネルギーがいる。間違えたくない。いいものを選びたい。だから、待ちたくなる。今よりもっといい選択肢が現れるかもしれない。いつかもっといいものに出会えるかもしれない。いつか。もっと。

確かに未来はわからない。

でも

今の自分の目の前にないということは

今の自分には縁がないということだ。

ないものは選べない。

今すでにあるものに目を向けよう。

縁というのは不思議なもので

必要なものは繋がっているんだ。

目を凝らすと実は、今あるものの中に答えがある。

#フォーチュンギフト

366【たいと思う】

「○○したいと思います。」よく言ってしまいがちの語尾。何氣なく使ってしまうからこそ、意識すると違ってくる。「します。」と言い切る。あ、今この瞬間も、意識「言い切りたい。」と書きそうになった。

「○○したい。」は、そうなってない状態を表現している。さらに「思う」は頭の中だけ。

「します」という表現は決意であり行動を強める言葉だ。ああ、また「言葉だと思う。」と書きそうになる。

決意はエネルギーと覚悟がいるから、

発する時はぼやかしたくなるんだよね。

ただ、そのエネルギーは

しますに変えると湧いてくる。

わかってるけど、

今は怖さがあるんだよね。

なら逆に、決意なんていらない、

普段の何氣ない言葉の

語尾を変えていけばいい。

「Aランチにしたいかなー。」を

「Aランチにする」

「お風呂入ろうと思う」を

「お風呂入る」に。

数をたくさんやれば

それが当たり前になるから。

もしろん、

したいと思うって表現が

悪いわけじゃない。

その表現をしてる自分より

しますと言って生きてる

自分のほうが好き。ってこと。

だから、そうします。

#フォーチュンギフト

365【最良の時】

遅かった。タイミング逃した。寝坊したー。「その時」にやれなかったことあるよね。むしろそのほうが多いかも。今を生きようと決めたのにね。後悔して、落ち込んでを繰り返す。でもね。そうなったらそれはそれ、「その時」でなくて、遅れたときが最良の時!と思うようにしてる。

間に合ってた「その時」じゃなくて

間に合わない「今」がよかったんだ。

本当はその時やれればよかったよ。

でも、その時には出来なかったんだよ。

出来なかったということはさ、

その時は自分には合わなかったんだよ。

今出来るなら、

遅れた今が最良なんだ。

結果は後でしかわからない。

未来の人生で

その時出来なかったから今がある。

って思えたらいいじゃん。

振り返ったら

けっこうあるよ。

その時言えなくてよかった。

その時行けなくてよかった。

その時会えなくてよかった。

ってこと。

今を幸せを感じられたら

全ては最良のタイミング。

その時にやると決めて

その通り出来たら最良!

でも、遅れてしまったとしても

それも最良の時なんだ。

#フォーチュンギフト

364【その時】

ものごとって氣づいたときがやるのにいい瞬間なんだって。わかっていても、先延ばしにしてしまうことしょっちゅうだ。お返事を書いたけど、送るのは明日の朝でいいや。後回しにして就寝。そして朝起きたら、もう話が変わっていた。しまった!送るタイミング逃した!

まだ時間あるから、準備は後でもいいや。いつの間にか時間は過ぎて、直前になって、しまった!時間が足りない!

生きてるのって「生」なんだよね。

生ものは、その時を逃すと、新鮮さが失われる。

その時出来ること。

その時動こう。

#フォーチュンギフト

363【スプリンクラー】

ビルで天上を見上げるとスプリンクラーが設置されている。火災を食い止めるためだ。消化器も置いてあるだろうし、火災報知器も設置されている。それらは定期的に整備点検が行われてる。普段はそれが作動することはない。でも、もしもの時に備えて、じっとそこに設置されているんだ。そういうのって、意識を向ければ実は至る所にあるんだよな。

街中に設置された消火栓。

豪雨時に水を逃すための地下貯水槽。

駅や施設に置かれたAED。

電車の座席の下には

閉じ込められた際

窓を叩き割るハンマー。

飛行機の上には酸素マスク。

車のエアバッグも

小さくたたまれてそこにいる。

もしものことがないと

存在を忘れてしまっていても

あらゆるところで、24時間

僕らを守ってくれている。

それを作った人がいて

設置した人がいて

日々点検してくれてる人がいる。

街の中、

そこに意識を向けると

思うんだ。

私は守られてる。

#フォーチュンギフト

362【おっさん】


僕は自分のことを「もうおっさんだ」とか、「もう年だから」と言うことはしない。ネタや冗談としてもほとんど言ったことがない。人は、幾つになったからそのようになるのではなく、自分がこの年齢の人はこう、というイメージの通りになるのだと思う。僕が20代のころから出逢ってき先輩たちは、50代ってこんなに若いんだ!70代ってこんなに元氣なんだ!
という人たちばかりだった。
年を重ねることは素晴らしい。
その時のあり方は、
自分でイメージした通りになるんだ。

#フォーチュンギフト

361【情熱の炎】

前に、よさこいをがっつりやるのはやめて、違うことやろうかな。そう思ったことがある。そんなときに説明会があった。やらないつもりだったけど、一応聞くだけはしっかりと聞いておこうと参加した。終わって氣がついたら、1番に入会していた。やらないつもりで参加したのに、なぜそうなったのか?

それは、燃えてたんだ。

説明会が、燃えてたんだ。

情熱の炎で、燃え上がっていたんだ。

その炎が、僕に移ってしまった。

燃え出した心は止められない。

人を動かすのは

いつだって

情熱の炎だ。

#フォーチュンギフト

360【バスの外】

カンボジアのアンコールワットを旅していた時のこと。僕はバイタクの後ろに乗って、遺跡に向かってた。道の途中、バイクの調子がおかしくなった。どうも故障したようだ。運転手の兄ちゃんは、最寄りの修理所までバイクを持っていくことにした。僕はその間、道端で1時間ほど待つことになった。

近くにはほったて小屋みたいな家があった。裸同然の男の子2人が遊んでいた。1人の老人がボロをまとって座っていいた。

僕も座り、老人と同じ方向を眺めていた。

目の前の道を

外国人観光客を満杯にのせた大型バスが

次から次へと通っていく。

この老人は

彼らが向かう先の遺跡に

行ったことはあるのだろうか?

毎日これだけの観光客が流れていくのを

どう思って見てるんだろう?

老人と旅人はただ黙って

バスを眺めていた。

何十台も通り過ぎる違う世界。

バスの中にいたら

気づくことのない景色。

視点が変わると

こんなにも世界が違って見えるんだ。

#フォーチュンギフト

359【間違ってるのは】

「ここ違ってますよー」と言われて「そんなはずないです。見間違いじゃない?」と言ったけど、やっぱり違っていたこと。「ここ間違ってますよー」と指摘したけど、「いや、前に変更になったでしょ」と言われて、そうだった!忘れてた!となったこと。そんなことが起こってしまう。自分が正しい。自分こそが合ってる。と思ってしまうからだ。

相手と自分の話が違うとき、本当に相手が間違ってるの?

そんなはずはない!

と思っても、ちょっと待って。

一度立ち止まって

冷静に、確かめてから

進めよう。

間違ってるのは、自分かもしれない。

#フォーチュンギフト